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いじめられっ子の弟に生まれて    すべては荒んだ幼少期に在り その1

書こうかどうしようか悩んだ。

でも、僕のバックグランドを知らないと、まるでただの成功者が書いているエッセイみたいに見えてしまうかなあ、と。

それって、客観的に読んだら嫌味でしょ?

でもそうじゃあない。

親子2代で虐めを受けている。

父のは、「時代」という背景があった。

父は祖父が甲府で薬局を営む家の3男として生まれたがやがて幼少期を新宿区戸山町で育つ。今の高田馬場周辺だ。

だから父の小さい頃の遊んだ話はほとんどが戸山が原でのことか、学童疎開したという群馬県の草津温泉での話。僕の子守歌(父の)は「草津節」だった。

でも、東京が空襲で焼かれ、海軍系の私立中学へ進学したばかりの父一家は、祖父の生まれ故郷を頼って、「平家の落人の里」と年寄りたちが思い込んでいるド田舎に疎開した。そこで僕は生まれてから小学校1年の6月まで過ごした。

父は、海軍系の私立中学へ行くくらいだったから学業は優秀だったらしく、疎開してすぐに、のちに僕の母校になる旧制中学へ転入する。

それが、「落人の里」の先住民には気に食わなかったらしい。

東京から来た青二才が、なぜ普通高校校へ行くんだ?
農学校へ行けば十分だろ?
という具合に直接言われたそうだ。親戚からもね。

どんな言われ方をしたか、その場にいたわけではないからわからないが、父はその話に一切触れようとしなかったから、相当悔しかったに違いない。

その後父は自力で、駅近くに土地を買い、今の実家を手に入れてその地区から脱出したのだから。


でも、僕は事情が違う。
僕が生まれた時には、すでに、父はそれなりに地域から尊敬されるような人だった。頭が良くて、金融機関に勤めて、頼れる人。そんな感じだっただろうか。

そして母も、看護婦だったが、地域の活動に積極的に協力して、持ち前のリーダーシップを発揮していたと思う。
もともと、中学生の時に、自分の中学の校歌を作曲したという人だ。


でも、なぜそんな二人の最初の子が、あんな長男なんだ!

これが、僕の人生を大きく狂わせた原因。

生まれる順番は選べない。

なぜあいつが「兄」で、僕が「弟」なのか?

いや、なぜあいつがいる家に、僕は生まれなければならなかったのか?
誰が生まれたいと言ったのだろう?

僕は、小学校へ入学するかしないかくらいの時期から、すでに哲学者だった。

なぜなら、その先に生まれただけの男は「いじめられっ子」だったからだ。

「いじめられっこ」の弟は「いじめられっ子の弟」という理由でいじめられるって知ってる?

この理不尽の方程式!

これをぶち壊そうとしたことが、今の僕を作ったと言っても過言ではないんだ。

これから先、十分気をつけるけど、このことに触れると、どうしても感情的になるので、多少不穏当な記述が出てくるかもしれないので、読みたくないと思った人はその場で読むのを自主規制してくださいね。

僕はただ、あくまでも、ずっと聖人君子として生きてきたわけではないことも知ってほしくて書き始めただけなので。
<続く>

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