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「もう、お前らが付き合えよ😥地獄」マンガ「こういうのがいい」を読んだ感想

 山田礼二さんの動画で紹介されていた、「こういうのがいい」というマンガを読んでみた。

 束縛彼氏の被害にあった女性とメンヘラに振り回されてウンザリしていた男性。関係が解消した後、二人は出会い、お互いに恋愛関係や彼氏彼女というレッテルに付き合うのが怠くなってセフレになり、セックスしまくって楽しい日々を過ごしている。みたいな漫画なのだが。

 こういうのが「良い」のだろうという感覚もよく分かってくる。彼氏ならこうしなさい、彼女ならこうしなさい、というレッテルに付き合うのも疲れるのだろう。
 気に入った良い年頃の男女が着の身着のままセックスに勤しんだり楽しく一緒に過ごしたりする。傍から見れば「もう付き合ってんじゃん」という事になるわけだが、主人公たちは彼氏彼女の関係になること自体に抵抗を感じているので、気の良いセフレのまま楽しい時間を過ごしたいのだろう。まあ、その時間が主人公たちの慰安の時間でもあるのだろうけど。

 連載漫画なので色々な事が進行していかないといけないのだが、二人の関係にちょっかいをかけるであろう周囲の人間の人間模様も面白い。男性主人公の近くには仕事のできる女性上司が配置される。彼女は主人公の仕事の腕前に惚れ込んでいるようだ。能力主義的な人間なのだろう。女性主人公の近くには年下のバイト君が配置されている。バイト君は女性主人公に好意を持っているのだが、面倒だなあくらいにしか思われていない。

 また、それぞれのモブの周りには「お似合い」なモブも配置されている。女性上司には良い相談相手の同僚。バイト君には好意を寄せている女の子。「もう、お前らが付き合えよ」と傍から見る分には思うのだが、それぞれの矢印が相互に向き合うことがなければ恋人関係にはならない。だからこの話はここでおしまいなんだ、ロック…という構造になっている。お似合いの二人だとしても、現代社会で一緒になるのには理由が必要なのだ。恋心、能力、ときめき。性欲だけじゃあかんのです。ましてやそれを説得してくれるお節介で厄介な人はいない。自ら考え選び取らなければならない。それこそが現代人しぐさではないか。

 他に気になった点としてはコマ割りが特徴的で、主人公たちはセックスしてるとき以外にもネットゲームで多くの時間を共有している。空間自体は遠く離れていても、空気感自体は共有している。ネット社会に慣れ親しんだ人間のリアルな感性がそのコマ割りからは感じられる。

 最新刊では女上司と女性主人公が出会うわけだが、関係性が問われる日が段々と迫ってきますね。束の間のやすらぎはいつ壊れてしまうのか。そもそもこの関係性自体がどこか壊れたものなのか。続きが楽しみです。

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