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証明写真を超えるためのポートレートを考える -心は写真にどう表現されるか-

AIによる広角ポートレーとの回答

ChatGPTに「広角レンズを使ったポートレート撮影の魅力とは?」と質問してみた。これ自体が長いのでボールドのところだけ流し読みで結構ですw

広角レンズを使ったポートレート撮影にはいくつかの魅力があります。

  1. 背景の広がり:広角レンズを使うと、被写体の周りの背景が広がり、より広く見えます。これにより、ポートレートに深みや立体感を与えることができます。また、背景にある景色や建物などを取り込むことができ、被写体の環境を表現することもできます。

  2. 意図的な歪み:広角レンズを使うと、被写体の周りが歪んで見えることがあります。これは、被写体によっては不自然に見えることもありますが、意図的に使うことで面白い効果を生み出すことができます。

  3. 迫力のある表現:広角レンズを使うことで、被写体を大きく見せることができます。特に、近距離から撮影すると、被写体が迫力ある印象を与えます。

  4. 活用の幅:広角レンズは、ポートレートだけでなく、風景や建物の撮影など、様々なシーンで活用することができます。そのため、広角レンズを使いこなすことで、より幅広い表現が可能になります。

ただし、広角レンズを使ったポートレート撮影には、注意点もあります。歪みが生じやすいため、被写体の表情や体型が不自然に見えることがあるため、注意が必要です。また、被写体との距離やレンズの焦点距離によっては、背景が大きくなりすぎることもあります。そのため、使用するレンズや撮影距離などを工夫する必要があります。

クロップに対する写真コンテストの審査員の先生の見解

 さてここで話は変わりますw。
 今は少なくなりましたが、雑誌の定例写真コンテストなどの審査員の先生がときどき、「オリジナルで大きく写した写真とクロップした写真はわかりますよ。ですのでみなさん、撮影の時に被写体の大きさを意識してください」ということを書かれたりされています。まあ、後半はその通りでそっちばかり気になるのですが、では前半の部分はどうやって見分けるのかっていう話はあんまり出てこないですね。でもこのことって、後で書くことの伏線になりますw

心や気持ちは写真にうつる?

 この問題は写真をアートとしてとらえるとずいぶん昔から問われてきた問題です。おいそれとは答えは出ませんが、これが「全く写らない」とすれば人物写真はアートにならないんじゃないかと思っています。暫定的な答えとして僕はリチャード・アヴェドンの(心の)「手がかりに満ちている」というのが一番の答えではないかとしておきます。 

(心の)手がかりはどのようにうつるか?

 さて、こころは写らないとしてもその手掛かりはではどのように映ってくるかという問題が浮上してきます。まあ、あげればきりがありませんがw、表情(力が入らない状態やあざとかったりとかw)や仕草などなど、この辺りはモデルさんの表現力にかかってきますね。それと撮影する場所や光の条件など外的な条件はその演出というところでしょう。
 さてそれ以外に、POVであるところの写真家(最終的にはこれは鑑賞者の視点になるのですが)との関係でもっともわかりやすい演出なのは、カメラ(写真家)とモデル間の物理的な距離です。基本的に対人関係において、非言語的コミュニケーションとして、コミュニケーションをとる際の距離というのがあります。概ね、友達ぐらいなら片手一本前後でそれ以上の深い関係性なら短くなるし、それより希薄な関係ならそれ以上に広がります。いわゆるパーソナルスペース(エヴァンゲリオン的にはAT-フィールドw)ですね。ですので親密さは、その内部に入ること、そしてもっと大事なのはパーソナルスペース内で相手を情緒的に受け入れることです。具体的に言えばパーソナルスペース内でも緊張や不安なく表現ができること、というのが親密感の「演出」だと思います。まとめると心的距離≒物理的距離という式が成り立ちます

改めて考える写真の中での物理的距離の認知パターン

 では、ここで写真のなかで物理的距離はどうあらわされるかという問題。一番わかりやすいのが遠近法で、「遠いものは小さく、近いものは大きく」ですね。ですので写真の背景を含めた面積に対して被写体が大きく映れば距離が近いわけですし、小さくうつしていれば物理的距離は遠くなります(てか、そういう風に見えますw)。となると被写体を大きく写すのには光学的にはどうすればいいかという問題に帰着出来ます。この解決には二つあって勿論、1)物理的距離を縮めて(寄って)撮影するというのが最も作画意図にちかい描写なわけですが、光学的に2)焦点距離の長いレンズを使う(望遠側)というのもあります。

心的距離を考えずに大きく写したいという撮影

 さて、先ほども書いた通り、心的距離を表したいときに大きく写す方法があるのですが、そういうものが不必要でかつ大きく写したい場合があります。それがタイトルに書いた「証明写真」ですね。別に写真家との心的距離が必要ない場合がこれです。まあ、モデルさんならオーデ用の書類につける写真などはここになるでしょう。余談ですが、広角ポートレートで「プロとアマ」「仕事と趣味」でわけて話されている場合がありますが、なんのことはない「証明写真」やポートフォリオ(宣材)はプロが請け合うことがほとんどで、作家性はプロの作品どりとそしてアマチュアの趣味の活動が「アマ」「趣味」という言葉に収束されています。ですので、経済的基盤を撮影の内容でわけるのはいささか乱暴でしょう。

心的距離を感じさせない撮影の彼岸

 基本的にポートレートには多かれ少なかれ関係性が映り込んできます。もちろん意識して写真家の影響をオミットしたい(もしくはする必要がある)場合というのもありますが、モデルさんの表現は撮影時の関係に影響してきますし、極力影響を排除した写真は、究極的には「物撮り(商品撮り)」になるんじゃないかと思います。物(物理的な商品)は被写体側が関係性を意識しませんよねw。だからこそ、これが撮れるのは職業写真家(プロ)だと思います。ただ、それは人物写真ですがポートレートとして面白いかどうかは別です。
 余談ですが、近代アートとしての写真は、マグナム所属のアントワーヌ・ダガタなど、勾留者の書類添付用写真をならべてこれをポートレートとして展示していますので、上に書いたことはあくまで古典的なということでしょうねw

寄りの写真の物理的距離の認知パターン

 さて、ここで大きく映った被写体の物理的距離をどう判断しているかという問題に戻ります。端的に言えば1)被写体との距離が近くて大きく映る、2)望遠の圧縮効果で大きく映るをどう区別しているかという問題に帰着します。
 もうお分かりですよね?
 これがレンズの歪曲なんです。標準レンズでもある程度よれば歪曲が出ますし、広角で寄れば歪曲はそこそこ強く出ます。広角でも中央付近なら歪曲は出にくいですが、パースがつくので肉眼とは違う描写になります。逆に望遠で撮れば歪曲は出にくくなりますので「肉眼でみたまま」に近くなります。写真をたくさん見ていると写真での物理的距離を「被写体の大きさ+歪曲」で認知している可能性が高いんです。この場合の歪曲は、(かっこつけて言うとw)バルトーのいうプンクトゥムということになるでしょう。

モデルにとっての「映り込んでくるもの(プンクトゥム)」

 さて、モデルさんにとってはこの歪曲は美醜という意味では厄介で避けたいかと思います。撮影会での広角描写の写真に不満があるというようなモデルさんもちらほらおききします。
 でも、歪曲(歪み)自体が心の距離として考えた場合、また別のものが見えてくる。すなわち物理的距離が近くてもそこで悠然と親密感が出せたりポージングが当たりまえのようにできたり、抜群の表情ができたりするというのは、モデル自身の表現力の確かさを写真で証明しています。それは見る人が見れば確かに伝わります。丁度、しわ自体は美しさの大敵かもしれませんが、それでも笑い皺を不快に思う人がないように。

最後に

 ここではくどくどと理屈臭いことを書きましたが、(プロとして、そして表現者として)いつもすごいなと思うモデルさんはこんな文章をすっ飛ばしてぼそっと呟いてらっしゃいます。

 (半目とかじゃなければ)どんな写真でもアップしてもらっていいですよ。それが写真家さんの撮りたい写真なら」







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