6話(透)

 山護に、打ち勝つ。
 思いもよらぬ能登の言葉に、山背は応じることが出来ぬまま、ただ深く息を吐いた。
  目の前に立つ皇女は、今、一体何を言ったのであろう。
(豊武の山護から逃れて、耶雲へ……)
 そもそも耶雲の大蛇が、古くはこの地の山護であったという話ですら、山背には初耳だ。
 神職にない山背は、神話やそれに連なる山護の事情に、別段詳しいわけではない。だが通常、山護はそれぞれの土地に根付き、他の領域を侵さない。それくらいのことは知っている。
 けれど能登は、こう告げたのだ。耶雲の大蛇は、後からやってきた新たな山護に討たれたのだと。山護が山護を討つ。そんな事態が起こるのは──
(耶雲の大蛇は、穢れて堕ちた山護だったのか……?)
 山護とは、和にも荒にも転じうる、その土地の神のこと。土地を護り、それを潤す神もあれば、何某かの穢れに触れ、堕ちて祟る神もある。──だからこそ人びとは、これを畏れ敬って、正しく祀り、その加護を受けようとするのだ。ひとたび堕ちた山護は、己の領域はもちろん、周囲の土地にも害を及ぼす。堕ちて祟りと化した山護を、別の山護が討ちとり、土に還したというような神話は、いくつか聞いたことがある。
 そう、神話。そうでなければ昔話。少なくとも山背にとっては、その程度の認識である。だが能登は、その昔話を頼りに、遥か誓筮京から耶雲へやってきたというのだろうか。誓筮京に加護を与える豊武の山護から逃れるために。
 いや、──それを、討ち取るために?
「約束をしたの。馬鹿なことをしたって、今では思ってるわ。だけどあの時は、縋るしかないと思ったの。先の瑛緒帝が病に臥せった時、後継と目された人間は五人いた。兄上もその中にいたわ。他の候補者に何度も命を狙われて、本当に苦しい日々が続いたの。まだ十にもならない子供だったわたくしは、怖くて怖くて仕方なかった。それで、山護の社へお参りに行ったのよ。兄上をどうか助けてくださいって。そうしたら、わたくしの目の前に」
 山護と思しき白狒々(しらひひ)が現れ、こう告げたのだという。
 
 おまえが山にとどまり、白狒々の世話をするのなら、能登の願いを叶えてやろうと。
 
「──それで、……白狒々の言うとおりに、契ったのですか」
「ち、ち、契るとか言わないで! 約束しただけ! ちょっとくらいなら世話をしてやってもいいって、そう言っただけよ!」
 目元に涙を浮かべた能登が、顔を真っ赤に染め、山背の顎をその真下から殴りあげる。至近距離からされたので、これは流石に、なかなか利いた。目を白黒させてよろめく山背を他所に、能登はまた外聞もなくぼろぼろと泣き、こう言い募る。
「白狒々に連れて行かれて、数刻だけ一緒に過ごしたわ。でもどうしても寂しくて泣いていたら、少しだけだよって、屋敷に帰してくれた。わたくしが十三になったら、迎えに来るからって。──屋敷に帰って驚いた。だってわたくしが白狒々のところにいたのは、ほんの数刻だけなのに、父上も母上も、みんな口を揃えてこう言うの。わたくしは半年もの間、姿をくらましていたのですって。その間に、兄上は正式な皇太子として冊立されていた。何故だかわかる? 兄上以外の候補者が──みな一様に──、不慮の死を遂げたからよ」

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