11話(田中)

 停戦が結ばれた隣国へ足を踏み入れる時、山背は不思議な感覚に襲われた。この土地の人たちと数年前に国をあげて殺し合ったのかと思うと、恨みがましい気分になれば良いのか、互いの犠牲を共感する気分になれば良いのか、どれが正解なのか分からない。
 正誤があると思っているわけではなかったが、それでも、何かしらの立場が自分の中で定まっているのではないかと思ったのだ。自分でも呆れるほど、特に何も思わなかった。それが不思議だった。
 一団は耶雲の国紋を身分証代わりに携えている。耶雲にいる間はそれがどんなにか頼もしかったか分からないが、七節に入った途端に寄る辺なさが彼らを包んだ。
「でも、流石に内親王殿下を襲ったりはしないですよね」
 新参者は、伺うように山背に話しかけた。
 今まで会話をしていたわけではなかったが、でも、と付けたのは恐らく二人とも考えていることが同じだと認識していたからだ。
 この耶雲を代表する一団を襲うことは、戦が再開する危険を孕んでいる。まして、帝の一人しかいない妹御を襲うことは、帝を頂点にする誓筮京、ひいては全国を敵に回すのだ。
 世情に疎くない七節の国護は何としても避けるだろう。能登殿は耶雲の最強の守り盾という訳である。彼女を傷つけることは帝を傷つけることに等しい。
 稲穂比古様の腹の底も真っ黒だ。改めて、山背は自分の主を思い返した。
初めて会った時は儚げで頼りない若君に思えたが、あの人のやることには無駄がない代わりに情もない。しかし、稲穂比古の元で敗戦国の耶雲がここまで再興したことも事実だった。
 そして、もう一人の主でもある能登殿が乗る輿にそっと目を向けた。幼い彼女が翻弄される様は、気の毒に思えた。彼女が頼るべき相手は兄の薫光帝なのか、遠縁の稲穂比古なのか、はたまた、人外なのか……。
 山背は足を止めた。それに続き、他の防人も。伝播するように輿を担ぐ者たち、そして女官、伝播するように一行は歩みを止めた。普段から武術に携わっている者は目に見えぬ人の気配が分かる。
 束に手をかけると、女官たちは小さく悲鳴を上げた。気配は一人二人の話ではなかった。出てきた人影は全員武装している。その中心に出てきたのは、馬に跨った妙齢の女性だった。装いは粗末なものではないのだが、山背が知るどの女性のそれとも違っていた。着飾ることに一つの価値を見出している能登を筆頭とする女性とは違い、長い髪をそっけなく一つにくくり、男性のような白い袴を穿いている。
「お前たちが内親王能登殿と耶雲の使者たちかい?」
「名乗らぬ者に名乗る名は持たない」
 山背の強い言葉に気力が戻ってきた一団はそうだと言わんばかりに七節の者たちを睨みつけた。無礼なと怒りの声が上がるのを手で制した女は、確かにと頷いた。
「確かに無礼であったか。ならば教えてやろう。俺は葛城(かつらぎ)。七節の国護だ」

 え、と誰が漏らした。
 山背も同じ気持ちだったので、咎める気にはなれなかった。七節の国護。稲穂比古と同じ立場の人間が、山背達と国境付近で対峙している。彼女達は武装しているが、襲うつもりなら、もっと耶雲から遠い場所にすべきである。耶雲の国まで逃れてくれば追手は来れない。国護自ら出てくるとは、襲うにしては得策ではない。何かあった時の言い逃れが出来ないからだ。様々な考えを巡らせた結果、山背はあることにたどり着いた。
「俺たちを迎えに来てくださったのですか?」
「当たり前だろう。襲いに来たとでも思ったのか」
「いえ。七節の方々が俺たちを気遣ってくれるだなんて、思いもよりませんでした」
「稲穂比古殿は頭が切れる御方だが、側近はそうではないのかな?」
 葛城は鼻を鳴らした。馬を翻すと長く纏めた髪が、馬のしっぽのように翻った。
「誰がお前たちの為に来る。お前たちに何かあったら七節には都合が悪いんだよ。全く稲穂比古は卑怯で蛇みたいなやつだな」
 あ、と山背は先ほど他でもない自分たちがしていた会話を思い出した。能登殿と耶雲の一団が七節で何かあれば責任は七節が取ることになる。葛城にとっては自ら出向くほどであると判断したのだろう。
 だが、その考えに至ったとして、他の国護がこうして自ら馬に乗って迎えに来るようには思えなかった。成程、七節の機動力の高さの根源はこの国護にあるらしい。一方で稲穂比古を卑怯で蛇のような奴と表現する者にも山背は未だかつて出会ったことはなかった。
 稲穂比古は公平で勤勉、分け隔てなく優しいと評判の男である。絶対にその機会は訪れないだろうが、葛城殿とは良い酒が飲めるかもしれないと山背は密かに思った。
「お前たちが襲われた方が都合の良い奴らもいるんだろうな。稲穂比古は間者に密かに情報を流す程度には、七節にも良い顔を見せたいようだ。どちらに転んでも無傷でいられる、本当に八方美人のいけ好かない女のようだよ」
 葛城は意地悪く笑った。
「だが、国護とはそういう奴でなければならないよな」


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