レンブラントの家2
レンブラント時代の絵の具解説,をやっていました。
顔料,ですかね,それを油と混ぜて,作っていきます。
顔料と油をまぜたものを,石ですりつぶしていくのです。
こんな風にするのですね。
色んな色の素が用意されています。
フェルメールブルーは,これですか,と訊いてみたところ,
これです,と原料を見せてくれました。
ラピスラズリですね。
これは,現在でも高価なので,実演で使ったりすることはありません,と笑っていました。
レンブラントは,芸術作品をコレクションしていたそうで,その浪費も大きく,後の破綻の原因にもなっています。
この工房は,レンブラントの弟子たちが描くブースで,指導料を結構な額を貰って,潤っていた時期もあったそう。
しかし,サスキアの死後,次第にレンブラントは,絵を描く枚数が減り,注文も減っていき,浪費癖もあって,経済的に困窮するようになる。
結局,この家全体と,家財を,売り払って,清算をしなくてはならなくなったそうです。
その時の,財産目録が残されていて,これです。
この時家にあった財産の総目録なので,逆にこれをたどって,現在のレンブラントの家を再現できたのだそうです。
この立派なお屋敷を人手に渡して,レンブラントは,アムステルダムの貧困街に引っ越しをしました。
その後,ペストで再婚相手を亡くし,子どもも亡くなっていくのでした。
その後も,ある地方の王族が,アムステルダムに立ち寄った際,あの高名なレンブラントに会いたい,と申し出て,絵を買っていったことがあるそうです。
同時代のフェルメールとは異なって,レンブラントは,名声を当時から得ていたのは,そのようですが,しかし,その後の生活は好転することはなかったのでした。
レンブラントの食事がジャガイモとニシンの酢漬けだけだったという記録が残っています。
63歳没なので当時としては長生きだったのでは。
亡くなる直近まで自画像を描いています。
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