ブログ開設時に僕が立てたいくつかの仮説とは
こんにちは。立花岳志です。
メルマガ「プロブロガー・総合情報発信者への道」のバックナンバーをnoteで公開しています。
最新号はメルマガにて毎週配信しています。
最新号は以下より登録いただくことで即時配信されます。
さっそく第2号をお届けします。
今回は、まったく無名のいちサラリーマンだった立花岳志がブログをスタートさせるときに何も想っていたのか、についてお話ししましょう。
そもそもの前提として、僕は文章を書くことが子供のころから好きでした。
でもそれが仕事と接続されることはありませんでした。
1995年、僕が26歳のときに僕は初めて自分のパソコンを買いました。
PowerMac 7500/100というマシンで、一緒にモデムも買ってインターネットに接続しました。
そして翌年1996年3月から、自分のホームページを作り、その中に「日記」のコーナーを作って日々更新を始めました。
当時は世の中にインターネットが広がり始めたばかりで、まだホームページを持っている人はほとんどいませんでした。
GoogleもYahoo!もAmazonもない時代って想像できませんね?
日本語でホームページを持っている人がまで数百人くらいしかいないころ、その多くがネット上に公開日記を書き始め、ちょっとしたブームになりました。
みんなホームページは作ったものの、「何を書いていいか分からず」、結局日々のことを垂れ流すようになったんですね。
そして日記を書いている人同士がネット越しにつながり始め、お互いの日記を読んだりコメントしたり、オフ会で会ったりするようになっていきます。
僕は結局1996年3月から2008年12月まで約13年間、コツコツと日記を公開し続けました。
でも日記はしょせん日記です。
赤の他人の、しかも無名の一般人の日記を定期的に読みたいというニーズほとんどないのです。
13年続けても僕の日記のアクセス数は1日に10人〜20人程度に留まっていました。
僕は20代後半から30歳前後にかけて小説家を目指して長編小説を書いていました。
3〜4本の小説を書いて新人賞に応募しましたが、賞を取ることはできず、小説家としてデビューすることはできませんでした。
そして惰性で日記を書き公開しつつ、40歳という年齢が近づき、僕は自分の中に強い閉塞感を感じるようになっていきました。
そんななか、大きな転機が訪れました。情報革命の波が僕のところに押し寄せてきたのです。
その革命は、iPhone 3Gというデバイスとともにやってきました。
2008年7月、39歳の時のことです。
iPhone 3Gを発売直後に買ったものの使い方が全然分からない。
日本で発売された初代iPhoneですから、書店に行っても本はない。製品にマニュアルがついていない。
SoftBankのサイトに行っても何も分からない。
どうしたものかと途方に暮れていたときに、見つけたのが「マニアの人たちのブログ」だったのです。
マニアのひとたちは日本では発売されなかった初代iPhoneを個人輸入していたり、iPod Touchという通信機能のないiPhoneを使ったりして、いろんな情報を発信していたのです。
それらマニアの人たちのブログを読み漁り、僕はiPhoneの使い方をマスターしていきました。
ところが、ずっとマニアの人たちのブログを読み漁っているうちに、自分の中で「ムラムラ」と何かが湧き上がってくることを感じました。
それは、「これって俺でもできるんじゃね?」ということです。
マニアの人たちのブログは、こういう言い方をすると失礼ですが、読みにくく分かりづらかった。
独りよがりの自己満足的な記事も多く、文章も下手で、図解なども少なくて、お世辞にも素敵な記事ではなかったのです。
でも、それらマニアの人たちの記事は、「めちゃくちゃ役に立った」のです。
それらのブログがなかったら、僕はiPhoneを使いこなせるようにならなかったのですから、すごく役に立ったのです。
そのとき僕は、このように仮説を立てました。
「日記を13年書いても人生は変わらなかった。僕に足りなかったのは「情報発信」という考え方ではないか」と。
そして、もう一つ仮説を立てました。
「情報発信をすることで、僕は自分の人生を劇的に変えることができるのではないか?」と。
2008年、39歳当時の僕は人生に行き詰まっていました。
一回目の結婚相手との関係が破綻しかけ、さらに親がバブル期に作った借金が返済できなくなり、僕が身代わり返済をしていました。
貯金もなくなり500万円の借金を背負い、家庭は崩壊状態。
さらに当時の僕は105kgの肥満体で、生活習慣病の予備軍でした。
健康診断の数値もボロボロで、いつも体調が悪く怠く、そして機嫌も悪い。
仕事は一生懸命やっていましたが、自分の未来に希望が全然持てず、働くことも虚しかった。
「このまま借金に押し潰され病気になって、他の人よりずっと早く死んでしまうんだろう」
そんな風に思い絶望する日々でした。
そんな状況の中で、僕はブログに一筋の希望の光を見たのです。
僕はマニアの人たちの顔も名前も知りません。まったくの赤の他人です。
でも、彼らが発信している「情報」を僕は必要としてインターネット越しに彼らのブログと繋がった。
それと同じことを僕がすれば、僕も多くの人とつながることができるのではないか?
いや、それができるはず。
当時の僕は、まだプロブロガーという存在については何も知りませんでした。
風の噂で「ブログが人気になって本を出版してすごくブレイクした人がいる」程度のことしか知りませんでした。
後から、その人が勝間和代さんや小飼弾さんであることを知るわけですが、当時は彼らの名前すら知りません。
ブログ開設にあたり、僕はとにかくひたすら「情報」を発信すること。
しかも、「たくさん」発信することを目指しました。
ここでも僕は仮説を立てたのです。
「普通の人は1日1記事しかブログを書かないだろう。ならば僕は3倍の1日3記事更新を目指そう」と。
「3倍のスピードで更新すれば、人気も3倍速く出るのではないか」と。
他の人と同じことをやっていたら、「人生を劇的に変えることはできない。すでに人気ブロガーになっている人たちに追い付くためには、3倍速で書きまくろう」と決めました。
そして僕はブログに「機動戦士ガンダム」の「シャア」の画像をプロフィール写真として使いました。
シャアが乗るザクは普通のザクの3倍のスピードで動くからです。
なので、当時の僕を知る古い友人たちは、いまでも僕のこと「大佐」と呼びます(笑)。
そして2008年12月8日がやってきました。
前日までに僕はブログの設定を全部終えていて、あとは記事を書いて投稿するだけの状態になっていました。
この日は僕は勤務先に午前半休をもらっていました。
朝一番に僕は当時の妻との離婚届を役所に提出しました。
その後勤務先のあった市ケ谷に移動して、駅の上のカフェに入ってMacBookを開きました。
そして僕は、僕の人生を劇的に変えることになったNo Second Lifeの最初の記事を書き、公開ボタンを押したのでした。
そのときには、そこから先僕に巻き起こる劇的な変化を想像することは、まったくできませんでした。
でも僕には、「情報発信を続けたら何かしら劇的なことが自分に起こるはず」という、根拠のない自信がありました。
そして僕は、「日記」から「ブログ」へと活動拠点を変え、新しい一歩を踏み出したのです。
その日書いた最初の記事がこちらです。
☆ 新たな一歩 - No Second Life
http://www.ttcbn.net/no_second_life/2008/12/post.html
それではまた次回お会いしましょう。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?