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言語と国家

以前の投稿でご紹介した通り、現在世界では7000以上の言語が使われているのに対して、国家の数は200弱にすぎません。

事実上は単一言語国家とも言える日本で生まれ育ち生活している多くの人にとって、国家の後ろ盾を持たない言語が存在するだけでなく、こうした言語が現在世界で使われている言語の大半であるということは、特に「皮膚感覚」としては中々分からないかもしれません。

日本の学校で習う科目としての日本語は「国語」という名前で呼ばれています。そして日本語では他の言語を呼ぶのに「外国語」という表現を、言語を数えるのに「何ヵ国語」という表現を、つまりどちらも「国」という語が含まれています。つまりすべての言語が国語であるかのような錯覚を与えてしまうようになっています。

さらには、本来国家とは対局にある母語のことを今でも「母国語」と呼ぶ人も散見されます。他の点では意識が高いにもかかわらず、「母語」と言うところを「母国語」と無意識に呼んでいる人を見ると、とても残念に思います。

「母国語」に対しては「母語」という言い換えが可能ですが、「外国語」と「何ヵ国語」に対しては単に「国」という語を取り除いただけの「外語」と「何ヵ語」という表現は日本語では不自然です。私が「他言語」という表現を使い続けているのは「外国語」に代わる苦肉の策です。

国家の後ろ盾を持たない世界の多くの言語でも、そのほとんどは特定の地域に根ざしています。こうした特定の地域とすら結びつきがない言語もごくわずかながら存在します。私は「離散言語」と呼んでいます。その代表的な例でもあり、言語学をやっていた頃の専門にもしていただけでなく、それで生活したことすらあるのが、イディッシュ語とエスペラント語です。

イディッシュ語はいわゆるユダヤ諸語のおそらく最も代表的かつ有名なものです。元々は特定の地域で生まれた言語ですが、その後その話者たちが移動し、今では主に、ロシア・アメリカ・イスラエル・ヨーロッパ・南アメリカ・オーストラリア等の東欧系ユダヤ人の移住先に話者がいます。

エスペラント語は元々いわゆる「人工語」として考案されたので、特定の地域とは最初から結びついておらず、その話者は地域的な偏りはあるものの、世界各地にいます。

特にこうした「離散言語」を世界の色々な場所で話すという経験を経た後だと、言語と国家がどう結びついているのか、そして「国語」とはどれだけ特権的な地位であるのかが、単なる頭だけの知識を超えて、直感的に理解できるようにもなります。

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