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〜きっと、この時を思い出して泣いてしまう〜

娘の入院の記録

〜きっと、この時を思い出して泣いてしまう〜


どうも、有村架純です。

嘘です。ごめんなさい。


娘が、RSウィルスと喘息のダブルパンチで入院しました。
学ぶことがたくさんあったので記しておこうと思う。

2才の娘が、昨日突如入院しました。

発熱と咳を患い、咳のせいで眠れない。
隣にいても、
添い寝して、
体勢を変えてあげたり、
加湿したり、
水をあげたり、
漫談をすることしかできない私。

無力さに、泣けてくる。


深夜1時に意を決して救急外来へいき、
いろんな検査で血を抜かれたり
PCR検査をされたり
レントゲンを撮られたり
泣き叫んでいる我が子。

一旦は落ち着いたので家に帰ったけど、
結局朝まで咳は続き一睡もできず

入院の荷物を全て用意して
また救急外来へ。

「入院させてください。母無力。」

とお伝えして、入院させてもらいました。
5時間以上待ってようやく病室に通された頃には、
夕日が沈みかけていました。

やっと眠れた彼女をおいて、私は病室をさりました。

娘の入院を3回経験している私。

毎回、別れが辛すぎる。


お昼寝している時に去るのは、


別れを目の当たりにして、
泣いて、
また彼女の弱った喉がやられないように。


翌日、私は娘に会いに病院へ。
なんだか、初デートのような気分になる不思議な感覚。

会いたくて、会いたくて、お気に入りの服を着る。

毎日あえていた彼女なのに、
1日会えないだけで、
会えるだけで、
こんなに心が踊るなんて。

娘は、私を見つけると、衰弱しきった体を懸命に起こし、
かすれた声で叫んだ。

「ママぁ…!」

長めの抱擁をし、
普段おしゃべりな私たちは、
特に何を話すでもなく、
ただずっと抱っこ紐で抱っこして
そばにいた。

彼女は、持っていったおもちゃに見向きもせず、

私の近くにいられればそれでいい。

そんなオーラを放ってた。

娘は、自分の鏡。

私も全面にそんなオーラを出していて、
それを汲み取ってくれたんだろう。

私たちは、ずっと離れることなく、どっかしらの肌がふれあいながら4時間を過ごした。

コロナの影響で、15:00には皆退散しないといけない。

動物的感だろうか。
時間のわからない空間で、
娘は15:00が近づくと、ぎゅっと私の手を強く握った。

「もうな、ママな、行かなあかんねん。。」

そう伝えると、

「一緒に行く…!」

と泣いている。


彼女の目をみて、
私は、

なぜ帰らないといけないか、
次はいつ会えるのか、
元気になったらどんなことをしようか、
を真摯に話すと


わかってくれた。

「帰るね。バイバイできる?」

というと、

涙をグッと堪え、


「…うん」

といって、バイバイした。

私は、彼女の覚悟を決めたような顔と態度の急成長に追いつけず、
後ろ髪をぐわんぐわんに引っ張られて病室を後にした。

私は、こそっとカーテンの隙間から娘を見ていた。
娘は、一点を見つめ、とても寂しそうな背中をしていた。



すると、私がいなくなったであろうタイミングで、

「うわぁぁぁん!!!!」

と大きな声を出して泣いていた。


そのあと、またグッとこらえ、

肩を上下に大きく動かしていた。


本当に、成長した。

私はその背中をみて、
子供のように泣きながらエレベーターへ向かった。

廊下では、看護師さんに取り押さえられながら、泣いて叫ぶ小学生くらいの女の子がいた。

彼女のお母さんは、
何度も抱きしめは離れ、

やっと離れた後も、

そっと病棟の角で娘の姿を見ていた。

15:00という不思議な時間に、
勇敢な母親の背中をたくさん見た。

私は、娘の勇敢な背中に勇気をもらい、

「よし、私も頑張ろう。」

と奮い立たされた。


看護師の母に、

「家にいても、わたしは何もできないから、
入院させてもらえてよかった」


って話をしたら、


「そばでいつも見守り、

励まし、栄養をあげて、

必要な医療を受けさせる、

一番大事なこと出来てるよ


と声をかけてくれました。

なんと、沁みる言葉だろう。


もう、大阪に足向けて寝られへん。


ほんでうちの家から大阪どっち?



子どもの入院は本当に辛いけど、家族をすごい勢いで成長させる。

私は、入院のことを密かに「留学」と呼んでいるほどだ。


来週には、きっと笑顔で帰ってきてくれると思うけど、
ここに今の気持ちを記しておこう。

彼女が大人になったら、この時のことを話して
一緒に笑おう。


でも、ときどき、

きっと、この時を思い出して泣いてしまうだろう。

早くよくなりますように。

I miss you already.



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