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【批判による共感から成る関係は稀薄である】

*ブログ移行に伴い、10年前の記事を成仏させていこうと思う。
以前のブログを閉鎖すべく、一旦こちらにお引越し。


批判すれば、特別になれる気がする人がココ最近多いらしい。


「あれはどうかと思うわ〜」


「あ〜私もそう思ってた〜」


「でしょ〜やばいよね?話し合うわね、インスタリクエスト送ってもいい?」


こんな案配の関係って最近増えてきていますよね。


プライバシーの大盤振る舞い!


現代的な友達の作り方なのでしょうか。


でも、そんな関係からできる友情だったり恋愛だったりって結局は薄っぺらく二度と会わない


「友達かぶれ」


が増えていく一方な気がする。


こうやってSNSを批判する発言をする私もやはりSNS中毒である事は否めない。


自覚することが第一歩だと思う。


所詮、遊びのSNSなんだから真実を書く必要は無い。


1この間読んだ記事で、現代人の「google化」が問題になっていた。


googleを批判しているワケではなく、

「なんとかなるだろう感」のある若者が増えてきているという。


「あとでググったら出てくるだろう。」

という考えのもと、

その場で疑問を掘り下げて考えたりする、

行動に移すというベクトルの欠如が問題となっている。


「何でもネットで調べれば出てくる」でわからないで終わらせる人と、すぐに調べて自分の知識に蓄えていく人では、脳みそのシワの数が大きく変わってくると思う。


余談だが、随分前に私の崇拝する「松尾スズキ」がこんなことを著書の中で書いていた。


「なにかを疑問に感じたとき、すぐにスマフォをいじらない人がいたらその人の価値はずいぶんあがる」


と言ってたのが印象的だった。

今、これだけITが私たちの生活に浸透している今、
調べたことを自分の知識にしているか否か、論点だと思う。

ちょっと前までは、「なんやっけ〜??」と考えて、それでもダメなら、

隣に座ってる人に聞いてみる。

それが1つのコミュニケーションに繋がる。

googleで調べたら自己完結。

速いけど、速いだけ。

だった。

そこにも「希薄な関係の突破口」はない。


本を読む時間があった頃は、本を1ヶ月に4冊読むようにしていた。

「4」という数字は幸せの「し(四)」

3冊なら簡単そうやし、5冊なら無理っぽい。


私はよく、「4」という数字に頼る癖があるかもしれない。

先月は奇しくも3冊しか読めなかったので今月は本をたくさん読もうと思う。


一度、林典子さんの『人間の尊厳』という写真エッセイを読んだ。


それにいたく感動したので、


筆者に直接、メールを送った。

単純にこの思いを伝えたかったので。


すると、1週間がたとうとした頃、


本人から返事が届いた。


これがコミュニケーションである。


本読んで、はいおわり。


分からない事はネットで調べて終わり。


そうすると、この筆者との対話も無かっただろう。


でも、SNSにもとても感謝している。


間違いなく、私の世界を広げてくれたのは、まぎれも無いSNSの力によるのもである。


欲しい情報を手に入れる事ができたから出会えた人もいるし、


遠く離れても繋がる事ができたんだ。


要は、どう付き合っていくか、である。


嬉しいことに、

「あなたはSNSの使い方がうまい」

とか、

「いつもあなたの活動をSNSで見ていて元気もらってます。」


なんていう言葉をかけていただくことが多い。


社交辞令かもしれないけど、単純に嬉しい。


私はおしゃべりなので、多分ネット上でも輪をかけてしゃべり倒しているだけなのだろうが。


心になんとなく決めた事があって。


1日1人は知らない人と言葉をかわす事。

難しいようだが結構朝飯前である。

電車に乗ったら席を譲ればいい。

重い荷物をもっている人には声をかけてサポートする。

ごはんを食べにいったら、


「おいしかったです。またきます、ありがとう!」


そう言えば、コミュニケーション力がぐんぐんUPする。



本当は、意識してやってたわけじゃなく、

単純にそう思ったから。


でも、


そんな毎日を送ってると、


緊張するであろう場面に出くわしても、結構どっしり構えていられる。



知らない人に声をかけるというシャイな日本人にとっては少し「4」な勇気。

(可能性の向こう側の数字が「4」といえるのではないだろうか。)


「4」という数字は嫌われがちだが、

私は結構すきだ。


4:44なんて「幸せいっぱい時間」と解釈するほど。


お気楽すぎるかもしれないが、人生1度きりなんだから楽しくないと。


そんな羅列を繰り返し、


私は結局何が言いたかったのか分からない。


とにかく、


「批判から生まれる共感による希薄な関係」を作りだすより


「異視点共有の興奮による関係から成る強い絆」を大事にすべきじゃないかと思ったこをと伝えたかったのだ。



もう漢字使いすぎてちょっと何言ってるか自分でも分からないけど、



週末の土曜日が終わりを迎えようとしている今、もう1週間くらい長めに休暇があったら嬉しいなという話でした。


今日もごはんがおいしかった。


おわり。

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