自分で自分を認めるということ
いつから自分の頑張りに歯止めが効かなくなっていたのかということを考えていた。
いつの間にか自分の評価が自分自身でではなく、客観的に見てどうかという視点に切り替わってしまっていたから、数字が出ていないことに対して焦りを感じていたのだった。
昔はこうではなかった、と思う。
自分の感情が赴くままに頑張るということができてきた。
自分のことを客観的に見るということができるようになったのはいいかもしれないが、結果まで客観的に求めていては、先の見えないことをする上では大きな重圧となる。
また比較対象がいるときにその比較対象と比べてしまうこと。
ライバルを見てしまうこと、そういうことは自分の中の闘争心に火をつけるかもしれないが、自分の力が相手に遠く及ばないときに挫ける要因となる。
これまでの自分の戦い方について振り返ってみた。
そこには周りに同じ目標を目指す人がいないときにだけその目標を目指すことを決めていたという事実があった。
近い場所に自分より優れた人がいるというのがストレスになると無意識のうちに知っていたのかもしれない。
ビジネスにおいてはそれはブルーオーシャンを見つける利点となりえたけれども、後発で自分のしていることに似たことを展開する人やものを見つけたときにものすごい焦燥感に襲われる。
ライバルと比較して自分は頑張っているのか?客観的にみて自分は結果を出しているのか?そう思えば思うほど、答えはNOで自分で自分の首を絞めることになる。
そうは分かっていても一方で生ぬるいことをいうなと自分を叱咤する自分の存在が大きい。
自分で自分の頑張りを認めようとしても、なかなか難しくて自分にとってのベストが数字につながらなかったらと思うだけで気が滅入る。
だから、自分のやってきたことの軌跡をしっかりと見つめ、自分で自分から逃げずに「ちゃんとあなたはやってきた」と声をかけることと、それでも焦ってしまう心は自分のことを頑張らせようとしない人やいつも味方でいてくれる人の近くにいるということが自分を潰さないでいるために重要だと感じている。
頑張った先にあるものは人生の暇つぶしでしかないのだから。
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