また人を愛してしまって良いのだろうか

ひとを愛するって辛いことが待っている気がする。
愛する、とは。
辛く悲しいことも人一倍感じるということ。
ただの愛着ではない、執着にも近いが相手のために自分のことを究極に後回しにできる、そんな感情だと思っている。
そばにいる時間の長さ、作る思い出、そういうものに比例したりもするところもあるかもしれないけれども、結局はどれだけ心を通わせたかということが大切になってくるのだと思う。
どれだけ素直に悪いと思ったことを謝り、感謝を伝えるか、相手に抱くポジティブな感情を伝えるか。
そういうことが短い間でも愛を育ててくれると信じている。
心と頭が離れたがらない、思い出す、信じる、結びつきたいと思う、そういう気持ちを身体で感じる。
頭だけの問題ではない、その人がひとつの場所になり、そこに「帰りたい」と思う。
帰りたいと思った時に、あぁ私はこの人のことが心底好きなのだと知る。
愛しい人が死の淵にいたら救いたいと思う、見捨てられるような話ではない。
まっしぐらに腕を掴みたいと思うだろう。
愛しい人の喪失に思いを馳せると胸が張り裂ける思いがする。
愛おしいはずの人がどうでもよくなったり嫌いになる瞬間というのも私は知ってしまった。
自分に苦しいことを経験させる要因として相手が外せなかった時、その原因を消し去ろうとして相手を嫌いになる。
でも本当は嫌いなのではなく離れたいのだろうとも思う。
生きている中できっとひとを優しくするのは、許すことなんだと過去から学んだ。
悪気というのは多くの場合存在しないということ。

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