私は彼を幸せに出来るのか?

無償の愛は自分より弱者に対してしか持てないと思っている。
でもそもそも弱者とは何なのか。
守ってほしい、愛してほしい、そう思うが、相手が泣いている時は守りたい、愛したいと思う。
相手も一人の人間で、その弱い所を見た時に初めてこの人のために何でもしたいという気持ちになる。
しっかりしていればしっかりしているほど、弱いところは見せたがらないだろう。
でも、弱いところが見えないと自分から愛するということがどういうことなのか少しだけ忘れてしまう。
先日ネットでこんな言葉を見た。
「失ってから大切さに気づくのではなく、手に入れてからその存在に甘えたのだ」と。
その通りだと思った。至言だ。
手に入れてから存在に甘える、胸に刺さる言葉で最も今気をつけている事だ。
愛されたいとか思う前に、まずは自分が相手を気遣い大切にしたい。
気遣われて嬉しくない人など、いないのだから。
気遣い優しくし、かといって甘やかさず母親のようになるのではなく、時に甘え、弱いところもさらけだし、ありがとうとごめんねをたくさん口にする。
必要なことはそれだけなのかもしれない。
「責任」が今は怖い。
誰かの人生を背負いたくはない。
それが本音で、結婚とか子どもを作るとか、そういうことの前に先ずはお金を稼がないと。
そういう脳だから。
でもたまに妄想することができる。
この人との間に子供が出来たら、と。
この人が父親になったなら、どんなに素敵な家庭になるだろう、と。
目の前の彼はとても人間らしくリアリティに溢れていて、触れることが出来、声を聞くことが出来る。
だけどそれはいつ失われるとも分からないものなのだ。
彼がいない生活、確かにとても寂しくはあるが私は、きっと大丈夫だ。
忘れることが得意だから。
だけど彼に寂しい思いをさせるのは、私との日々が悲しい思い出になってしまうのは、耐え難い。
よく昔を思い出して懐かしそうに語る彼。
これまで体験した辛いことは言葉にすることすら嫌がる彼。
口にしたくないような悲しい思い出を作りたくはない。
できれば思い出す度ににやけてしまうような幸せな思い出であってほしい、できれば死ぬまで。
私は彼を幸せにできるんだろうか?
自分の「そばにいるね」という言葉に最後まで責任を持てるのだろうか?
分からない、自分が信じられない。
自分を幸せにしてくれなかったら、私の心も冷えてしまう、一方通行の無償の愛など私には高尚すぎるものなのかもしれない。
愛に応える、で許してほしい。

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