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「ずっとそうだった」

!この記事には小説「透明だった最後の日々へ」のネタバレ感想が含まれます!

本をしまうスペースがある人は紙の本で読んだ方がいいと思う。
あと震災の話がでてくるので決して無理はしないでほしい。






昼前、予約注文していたやつが読めるようになっているのに気付きkindleを開く。
冒頭の数行を読んで「これは紙の本で読まねば」という衝動に襲われ書店の在庫検索をして家を飛び出した。
時折ある「紙の手触りが伴わなければいけない」本と突然ぶつかった形となった。ツイッターに上がっていた試し読みの段階では思わなかったので不思議だ。
近所の書店在庫はよく見ると在庫なしだったので諸々に頑張って耐えながら紀伊国屋本店まで足を伸ばし購入、帰宅までの時間が惜しすぎて窓際の読書スペースで読み始めた。
柔らかく危うさを感じる紙が、手汗で湿りつつある手で触れていいのだろうかなんて思わせたからやっぱり紙の本で読むのが大正解だった。
時折息が乱れたときのような加速を味わいながらの一時間半。たったの。

己の性癖として挙げている、かつ物語として書くのが難しいかもしれないと思っていた「惰性」「停滞」「隔絶」「炎天」「定点カメラ」がそこにあった。

物語として起こす上で必要な出来事の類はきちんと発生している。ミズハやナツトとの出会い、共に過ごす日々、若手詩人として接する誰某、昔の馴染み、それらがちゃんといる。
炎天、夏の気だるくさせる暑さの描写が生々しかった。田舎の幾ばくか爽やかなそれでなく、都会に越してから感じたあの薄ら不快な夏の味だった。
隔絶、ミズハを崇拝しながらも意地悪で躱されるナツト。
惰性と定点カメラ、またカラオケかと言いながらも付き合うようになっていくリョウという視点。
なら停滞はどこか? 
外に飛び出して口論して「死んでやる」なんて言いながらやっぱり生きてるミズハとか、代わり映えしない行き先とか関係とか、そこもあるのだが一番恐ろしいものは「リョウ」の内にずっと蔓延っていたのだ。ぞっとした。空虚になにか理由を与えようとこじつけて、その実それらは無関係であった、と。
ミズハが飛び降りた話の直後に詩人の集まりに顔を出しているシーンが差し込まれるのだから本当に乾いている。リョウがそれに気付いたところで本人の認識が少し変わっただけなのだろう。
本当にリョウを好いているらしいミズハが報われない、と書くとなんだか違うような気がして落ち着かない。
それで、変わりようのない「かわいそうな」奴らがぱらぱらとずれた日常を歩く。リョウがそれに苦言を呈さないのが心地よい、のだってなんだかわかってしまった。騒いだって変わんないからここまできちゃったんだ。だってもう日常だもの。
いや変わるかな? どうだろう。ナツトは抜け出してったのかもしれないけれど。
何か変化が起こるとしても、足を絡め取りにくる何かが増えるだけなんだろうな。

余談、リョウの詩作に対する心持ちがなんだか自分と重なって見えてぶっこ抜かれたようで動悸がした。
己と似た境遇のキャラを作っていじめるなり幸せにするなりしたところで、それによって救われたいとか容認されたいとかでなく隔離と傍観なのだ。自分と無関係になるまで磨き上げて楽しんでいる。
そして、それは頭の中の不定形に形を与える作業だと思っている。外に出して形を与えなきゃ頭の中で溢れていつか脳が破壊されるから。

そんなこんなで、読み終わったら多分ほどよい虚脱感を味わうのだろうと思っていたのに真逆だった。
でも全力疾走のあとなんて言うと程遠い、どちらかといえばすぐ読みたいがために早足で歩いて書店にたどり着いたあとのあの疲労感と目まぐるしさだ。
かけてもらったカバーは手汗でちょっとよれていた。
大好きな概念をどうしようもなく「これこれ!!こういうこと!!」としか言えなくなるぐらい完璧にお出しされた衝撃で変になって帰りの電車は乗り継ぎをミスりまくった。

本当に忙しい一時間半だった。
勢いで「終わり続けるぼくらのための」も買ったので、こっちは落ち着いてから読もうと思う。落ち着くのいつだ?

それにしても、数年振りにちゃんと読み終えられた一冊がこれなのはなんだか不思議な気分だ。
あと読んでる間スマートウォッチから心拍数高過ぎ!って通知が一生来てた。