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#00 Cinema poetory

詩と朗読と映像

「露さんの詩は声で聴いたほうが落ち着きますね」以前いただいたお声です。私は、本当を言うと最初の頃は「文章として甘いところがあるんじゃない?」というのを柔らかく表現した批評なのかな?と思い(確かにそう思っていたので)、より文字に打ち込むようになっていたのですが、最近になって「詩の形」も様々あっていいのかしら、と考えられるようになりました。
自分の作品としてどんな詩の形をとっていくのが一番いいのか。雨粒が落ちて自然に波紋ができるように、誰かの胸の内にふと、自由落下するようなものがいい・・・(因みに今、雨の窓端でこれを書いています)。

いざ、スタジオへ

なら、まずは実験的にでももくもく頑張ってみたい。そう思い、スペースマーケットでスタジオをお借りして撮影したり、お家で録音したりしました。
早く着きすぎたり、珈琲店に入ったら同じく映像作家をしている方とお話しできたり…スタジオさんも優しくて、予想外なくらいいろんなことができました。その結果がこちら。朗読したのは「春の節(はるのふし)」という割と最近の作です。よろしければご覧ください。字面で読んでみたい方は概要欄に全文を載せております。

表現の沼

こんなことを言ってはいけないのですが、表現するって沼地で光に手を伸ばすみたいな一面があるような気がします。届いているのか、いないのか。
その光の先に何があるのかわからないし、どこかを打てども残響すら帰ってこない。スピッツの「春の歌」の冒頭になんとなく共感します。(スピッツ、好きです)三脚とカメラとポータブルDVDプレーヤーを抱えて電車に揺られながらぼんやりしてしまうくらいには。
だからこそ発表の場ってとても大事です。今回はYouTubeとVimeoにアップロードしてみました。ここから(つまりは沼の外の世界から)何か反響が帰ってきたら嬉しいです。

終わりに

最初は詩の文字にアニメーションをつけたものをひらひら映像の中で舞わせようかと思っていたのですが、編集していくにつれ必要性を感じなくなりこんな形になりました。ここまで読んでくださった方ありがとうございました。どういうポイントでも反響、お待ちしております。

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