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イヤホンと私

初めてイヤホンをつけて街を歩いたのは多分中学1年生の頃だ。生まれて初めて自分のスマートフォンを買ってもらえて自由に曲が聴けるようになって、音楽アプリは入れられなかったからYouTubeの好きな曲をプレイリストにまとめて流していた。まだその頃は音楽が特別好きな訳ではなかったから、たしか西野カナとかのその時流行ってた曲とか小学生の時に親に教えてもらった曲とかをプレイリストに入れてた。


先に友達が乗っている電車に乗るために駅のホームを歩いていた。友達の最寄り駅のエスカレーターは先頭号車の方で私の最寄り駅のエスカレーターは後ろの方だったから友達が乗っている号車は前の方で。合流するためにひたすらホームの端をめざして歩いていた。天気が良くて過ごしやすい空気の日だった。私は少し照れながら、大人の一員になったような顔をして耳に有線のイヤホンをつけて歩いていた。お母さんに怒られるかもしれないと思ってイヤホンをつけたのは家を出てしばらく歩いた後だった。少し緊張しながら音楽を聴いていたあの日。


あれからしばらく経って、私の人生を変えるアーティストに、曲に出会ってそれからずっと私は音楽と共に生きてきた。朝起きたらイヤホンをつけて好きな曲を流しながら朝の支度をした。家から帰ったらイヤホンをつけて制服を脱いだ。塾に行くまでの道も、電車の中も、部屋の片付けをする時も、料理をする時も、救いを求めていた時も、何も考えたくない時も、自分の不甲斐なさとかっこ悪さにトイレで泣いていた時も、自分が間違っていることに気がついてふらふらショッピングモールを歩き回った日も、ずっと私は耳にイヤホンをつけていた。今だって。

自分の愛した音楽を他人に聴かれるのが恥ずかしい。自分の好みも性格も考えていることも隠していることも全てバレてしまうような気がする。「こんな音楽が好きなんだ」と他人に思われることで自分がなにかラベルを貼られて決めつけられてしまうことが怖かったのかもしれない。自分の好きな人のことを他人にバレたくないと思う気持ちと同じなのかもしれない。もちろん曲をおすすめしたり好きな音楽の話をすることはあるし嫌いじゃない。でも今自分がどんな曲を聴いてどんな顔をしていて何を思っているのかがバレるのが、決めつけられるのが嫌だったのかな。どんな理由だろうと私は人前で音楽を聴く時は何を聴いているのかバレないようにイヤホンをつけることばかりだった。


イヤホンと私の物語はそんなに深いものじゃない。自分が死んだ時に棺に入れられても「ちょっとズレてない?」と思ってしまうだろう。でも、初めてイヤホンをつけて街を歩いた日から自分の人生を一緒に歩いてきたのはどんな時も音楽だったし、イヤホンだった。音楽を私の耳に、心に、身体に届けてくれたのは。


当たり前のようにイヤホンを耳につけながら歩いていた時にそんなことを考えていた。初めてイヤホンをつけて街を歩いたあの日の恥ずかしさと大人の仲間入りをしたような誇らしさを忘れないで生きていきたい。

べつにそんなことないか、



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