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渡塾が「ヤンキー塾」と言われていた頃のお話(後編)

前編はこちらからご覧ください!

僕らに何か力になれることはありませんか?

ある日の午後、僕は事務所の電話の受話器を取りました。

PCの画面には箕面市内のとある中学校の連絡先が表示されています。

深呼吸をして、表示されている電話番号を入力します。

「はい、箕面市立〇〇中学校です」

「突然のお電話失礼します。私は箕面で学習塾をやっているNPO法人あっとすくーるの渡と申します。そちらの生徒さんのことで少しお話したいことがあってお電話させていただきました。実は今、そちらの生徒さんがうちの塾の駐輪場に溜まっていたりして、他のテナントの方からもクレームの声が上がったりしている状況なんです。」

「それは大変失礼しました。生徒の目星はつくので、こちらで指導するようにします。申し訳ありませんでした。」

「あ、いえ、決してクレームでお電話したのではないのです。あの子たちはもしかしたら学校生活でも問題を抱えていたり、複雑な家庭背景がある子達なんじゃないかなと。もしそうであれば、何か私たちにお役に立てることがないか、何か一緒にサポートさせていただけることがないかと思って連絡をさせていただきました。一度そちらに伺ってお話を聞かせていただきたいのですが、そういうことは可能でしょうか?」

僕が選んだのは、彼らを「迷惑な存在」ではなく「サポートが必要な存在」として守る道を探すという選択でした。

他のテナントのオーナーさんに怒鳴られ、足がガクガクに震えながらも、ここでブレてはいけないと心を奮い立たせました。

そして学校の先生もこちらの提案を快く受け入れてくださり、後日学校にて彼らのことについて話をする時間をいただけました。

その時に対応してくださった先生はうちに来ていたやんちゃな子どもたちからも慕われている先生でした。

学校での様子や学習状況についてお聞きして、それに合わせたサポートを塾でもしていくことにしました。

ぱったり止んだ迷惑行動

その後、駐輪場に人が溜まったりというのは無くなりました。

おそらく学校でも指導が入ったんだと思います。

でもそれで塾生の子どもたちが「あいつ学校にチクりやがった」と言って辞めることもありませんでした。

子どもたちに本音を聞いたわけではありませんが、少なくともあいつは敵じゃないと思ってもらえたんだと思います。

さあこれでひと段落、とはいきません。

むしろここからが僕らとしては本番です。なぜなら、彼らは学力がそこまで高くない、というより低かったからです。

そして私立はやめて欲しいと保護者の方に言われています。

ここからが学習支援屋さんとしては本番でした。

でもそんなこちらの危機感は知らん顔、子どもたちは平気で授業に遅れ、宿題はやってこず、授業中も集中しないことも多々ありました(笑)

なあなあでは良くないということで、遅刻が続いたある日、授業に行く前に事務室に呼んで、少し話をしました。

遅刻の理由を聞いて、どんな理由があっても受験本番遅刻したらアウトやで、これまで頑張ったこと全部無駄になるんやでってことを言いました。

何一つ特別なことは言ってません。心動かすようなええ話もしてません(笑)。

でも彼らは聞いてくれました。その翌週から遅刻が減って、遅刻した時にはちゃんと謝るようになりました。

何を言うかではなく、誰が言うか。もっと言えば、「敵」が言うのか「味方」が言うのか。

これは彼らに教えてもらいました。

全ての子どもがそうだと思いますが、特にこういうやんちゃな子たちと関わる時はこちらの姿勢がすごく大事になってくると個人的には思っています。

綺麗事だけ言って本音では面倒くさいと思ってるやつにはそっぽむくし、大事なことを言ってくれてるけど、それが子どもらのためじゃなく、言うことを聞かないことにイライラしてるからっていうのがバレれば相手にされない。

本当に、子どもたちと関わるっていうのは難しいです。

早くこの塾全国に作ったらええやん

彼らと関わる日々はまさに「戦い」の日々でした。

自分自身ともそうだし、迫る受験という期限ともそう。

そして、彼らは全員がなんとか高校に進学することができました。

さて、そんな彼らの高校合格祝いということで、当時いたスタッフが彼らの何人かを焼肉に連れて行ったことがありました。

その焼き肉の席で、一人の子どもがこんなことを言ってくれたそうです。

「早くこの塾全国に作ったらええやん」

この話を聞いた時、なんか認めてもらえた気がしました。

「万能薬」みたいな、全ての子どもに効くような関わりはなく、一人一人適した関わりが違う。

学校で習ってきたお勉強とは全く違って、絶対的な正解がない。

日々試行錯誤で、時には間違えて、それが子どもたちが離れていくことにもつながってしまう。

なんか綱渡りみたいな日々ですよね(笑)

でもその綱を渡りきった先に聞こえてきた声が「早くこの塾全国に作ったらええやん」で、「お前、ええことやってるで」と子どもたちに認めてもらえたような気がしました。

残念ながら現状彼らの期待に応えられず全国に作るほどには至っていません・・・

それでも当時の彼らの言葉や、彼らと関わった「戦いの日々」が、今の自分を支えてくれているなぁと思います。

以上、渡塾が「ヤンキー塾」と呼ばれていた頃のお話でした!

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