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web遺言としてのYouTube利用

友人に誘われてYouTubeにラジオとして適当に喋っています。

あまり人に聞かれることを想定していない、どちらかというと「フライトレコード」であり「遺言」に近いのかもしれません。ラジオは以前紹介した「松本人志・高須光聖の放送室」が大好きで、今更ながらCDで全巻集めて聞いております。

私がラジオや落語などを聞く理由はもっぱら「出張の移動中の暇つぶし」であり、いつでもどこでも聞けるため、重宝しているのです。で、上記のラジオも参加している私にとっては、どちらかというと公開することが目的ではなく「音声ファイルをiPod(Classic 160GB)に入れて聞くため」であり、アップロードはその副産物であります。

2011年にMITの石井先生のTEDを聞いて「200年後、私達はみな死ぬ。けども世界は生き続ける。200年後の世界に私が存在した証を残す。」ということでTwitterのBot(決められたテキストを投稿するだけのプログラム)を紹介されていましたが、その講演を聴く前から私は同じようなことを考えており、2000年の高校時代からブログのようなことを初めていました。で「せっかくなら」と思って音声記録も初めたわけです。

とはいえ、ほとんど初期設定のまま背景も黒で、映像を全く使わないのは「面倒だから」ではございません。それは私のリクエストです。敢えて音声だけに絞りたかったのは、コンテンツを制限することで、コンテンツの品質をあげようと考えたからでもあり、本当に質が変わるか確かめたかったためでもあります。まぁ、私の顔や身振りがあるよりは、マシなコンテンツだとは思います。聞くだけなので、洗濯しながらでも、朝の支度しながらでも聞けますからね。

「コンテンツを作成する」ということをしたい、しかしながら非常に難しいのです。ただ、それを試してみたい。ありがちな「企画」をやってしまうと、ありがちなのでコンテンツになりません。しかし喋ることに絞れば、意外にも作品としてのコンテンツになりやすい。喋りの面白さで勝負できるからです。もちろん喋りの素人である私が毎回高いクオリティを出すことはできませんが、試行錯誤はできます。しかも準備不要です。いつでも時間があれば喋ることが出来る。

そのへんは僕と喋っている友人と思想が違うところです。彼はどちらかというと、いわゆるYouTubeをやりたいのか、またはいわゆる普通のラジオをやりたいのか。なので「今日は何月何曜日です」ということを言いたがります。逆に私は日を意識しない「いつか未来で聞いても、その時のように面白い」ことを心がけたいところであります。

書き言葉と喋り言葉が異なるように、同じネタでも文章にすると違う角度になりますので、しばらくはそこで喋った自分発信のネタをnoteに記載していこうと思います。


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