日記と内なる声

かつて、私が高校生だった2001年頃、インターネットは電話回線を使って情報を得ており、今ほどカジュアルに使えるものはなかった。高校時代だった私は、その頃にパソコンを買ってもらって、適当に遊んでいた。通信の速度は今に比べると100倍以上も遅く、一つの画像を表示させるにも何秒とかかっていた。今でいうと「使いすぎて通信制限がかかった状態」のようなものだろうか。そのころ「ネットでなるべく早く画像を表示したい」ということで生まれたのがJpegでありGIFやPngという画像形式だった。それらの画像を読み込む方法が、パソコンに標準で搭載されていない時期だったのだ。各自ネットでコーデックを拾ってインストールしていた。

ちょうどその頃、おそらく日本だけだと思うけど「日記サイト」というものがあった(その数年後にブログと言う言葉が生まれた)。先程も書いたとおり、画像表現がネット回線の問題で快適ではなかったため、なんとか人が人を楽しませようとしてできた、テキストだけの表現文化の一部、と言っていい。つまりは「日記を書いて公開する」ホームページだ。

書いている側は毎日どれくらいの人が見に来るかを計測することができた(外部サービスを使って)ため、なるべく人を引きつけるような面白い記事を書いたものだ。かくいう私は主に見る専門ではあったが、ワールドワイドウェブの片隅のYahoo  Geo Citiesというところで日記を書き残していた。おもに「日記サイトの管理人と交流を持つため」に、アカウントを作っていたようなものだ。

テキストという限定された手法で、皆が周りを楽しませて、毎日のように誰かの日記を見に行ったものだ。それにノセられて私も一応日記を書いていた。本当に普通の日記を書いていた。いや、普通ではないかもしれない。その日起きたことなど何一つ残していないからだ。残していたのは、その瞬間思ったこと、考えたこと、まさに今のような状態。それをテキストに残していた。

このように頭の中から湧いてくる言葉をテキストに残し続けると、次第に頭の中に「声」が産まれるようになった。自分で物を考える始まりだった。この「声」がある限り、私は今でもiPhoneがなくとも、どこでも退屈しなくなった。

高校生の当時はこれが当たり前だったが、気がつけば40歳手前。じつは「頭の中の声」が生まれなくなっているのに気がついた。果たしてこれが良いものなのか、悪いことなのかは分からなかったが、それを絶やしたくなかったので、こうやってNoteに吐き始めることにした。少なくともこの内なる声が聞こえているうちは、わりと思考がクリアで、選択肢のミスも少なく、よりよく頭を使えている気がするからだ。

またNoteを日記代わりに使えれば、これは良いことだと思う。今のように新幹線の移動時間を見つけては、何かを書き記していこうと思う。

ちなみに、日記をつけるという文化は日本も独特だが、他にもユダヤ人も日記を残す文化を持つらしい。だからユダヤの聖書や死海文章などが残っているのだろう。ユダヤ人は教育としても日記をつけることを勧めていると聞いている。僕も日記サイトを始めるに当たり、当時お世話になっていた管理人の人に勧められた。

「日記をつけると生活にハリが出る」

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