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人生に乾杯 44(社会関係資本の話)

大病院の救急医、山井大輔から22日(土)に電話があった。年末から2、3週間ごとにかかってはこちらの事情で断っていた。いや、予告なく突然かけてくる方が悪い(😆)のだが、22日は電話を取りそれまでの非礼を詫びた。親しき中にも礼儀ありである。

画面越しに、ペットボトルのお茶を飲んでいた彼は「それはそうとさ〜」と、Social Capitalの話を始めた。その日、自分の家族に「俺が倒れたらどうするか」という議論をふっかけたというのだ。奥様以外はしれっとしていたらしい。日本でSocial Capitalは「社会関係資本」と訳され、ウィキペディアによると「人々の協調行動が活発化することにより社会の効率性を高めることができるという考え方のもとで、社会の信頼関係、規範、ネットワークといった社会組織の重要性を説く概念」という。

大輔の場合、出身地の血族、僕を含めて延々と続く友人関係など、人間に根ざしていて、かつ金銭面以外のつながりを指す。自身が万が一の時には故郷へ戻ることを考えているようだが、東京出身の奥様は「あんたの親族なんかほとんど会ったことがない」とかなり否定的な受け止めだったと、電話口で凹んでいた。大輔のためになればと自分でも考えてみた。

我が家の場合、自分の実家は母親が動けるには動けるが、やはりがん患者。加えて背中の圧迫骨折もある。1人で住んでいた近県のマンションに数年前、妹とその娘が引っ越してきた。外資とは言えフルタイムで働く妹と一緒なので、母は頼りにならない。弟は四国にいてこちらもすぐには頼れない。今住むご近所さんはほとんど付き合いがない。そう考えるうち、大輔を含めてトモダチ数人が残るだけになっていることに気づいた。そういえば昨年末にはシンガポールから一時帰国した友人家族と渋谷で夕食を楽しみ、また、今後の日曜日はシンガポールで一緒になった家族から招待されている。マンボウ違反だと知りながら都心のマンションに集まって複数家族でワイワイやることになっている。

それに比べてかみさんの方は比較的ご縁が長く続く人が多い。高1の娘が学外で某ボランティアをしているが、この主催者(米国人)が実はかみさんにとっては30年近くの知り合い。今となっては母娘で同じ人にお世話になっている。なんてことがあちこちで見つかる。

あーだこーだと大輔と話しているうち、気づいたら1時間も経っていた。電話を終えるタイミングで、最後に大輔から「いや〜今日もつよきと話せて嬉しかった。気持ちが晴れたよ」「いやもうコロナが終わったら絶対飲もうな」と言ってもらった。

お世辞でもそう言ってくれて、こちらの方が嬉しかった。

(冒頭の写真は2016年7月16日、子どもたちが高知に国内留学(公立小学校)した際、県内観光で撮影したもの。僕がシンガポールで仕事のレポートと格闘していたころだ。続く。)