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人生に乾杯 39(晴れ、でものち心は曇り)

一昨日10月12日は脳神経外科の診療日。9月29日のメチオニン(MET)PET/ CT検査の結果、自分の脳には異常がないことを確認できた。一昨日のMRI検査でも異常はなく、これでようやく1年を乗り切ったことになる。主治医の田部井医師からは「肺の治療でもマーカー値は下がっているみたいですし、このまま行くといいですね。年明けの予約分からMRIはふた月一度にしましょう」と言ってもらい、本当にほっとした。「影」の存在を知らされた前回の田部井医師の診察(9月14日)から今まで、生きた心地がしなかったからだ。

「マーカー値」の話は消化器の加藤医師が記入している箇所なので、僕は改めて驚いた。この病院に限らず、今では患者カルテが各科で電子化され、共有されている。常識の範囲なのだが、僕だけ知らなかった。知らなかった訳ではない。医師2人が画面越しに情報共有をしているのは分かっていたが、田部井医師が消化器担当のはずの情報にも気を配っていることに驚いた、と言った方が正確だと思う。やっぱり田部井先生は凄い。

グロテスクな写真で恐縮だが、冒頭に上げたのは左が一昨日のMRI、右が9月のMET・PETの結果で、田部井医師が組写真にしてくれた。眼球が写真の上で、首から上を見上げるように輪切り撮影しているので、画面上は右が実際の自分の左に相当する。左右の写真とも右上部(つまり左前頭葉部)が黒くなっているのは腫瘍の跡。左写真で所々白く映るのは僕の場合、放射線を浴びた際にできた脳細胞の死骸という説明だった。右写真の中央部が黒くなっているのは脳幹で、MET・PETで使う薬剤が入らず黒くなるという説明を受けた。

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腫瘍マーカーについては、消化器系ではCEAとCA19-9が基準になるらしい(グラフ上)。このうち加藤医師は特にCEAに注目していた。過去2回(青網掛け)、直近は10月6日の判明でこれも下がった(実はこの時に本ブログをアップしようかと思っていたが、MET・PETの結果が出るまで待っていた)。参考までに赤網掛け箇所は2019年に僕がS状結腸がんを罹患した時のスパイクだ。基準値上限5を飛び越えていたことに、今さらながらびっくりしてしまった。この時はがんにかかった最初だったこともあり、1人寂しく(家族は日本に一時帰国中)シンガポールのベッドで遺書を書いていた。

で一昨日の話に戻ると、結果を病院近くに勤務する妻に早速、2人だけで使っている少し特殊なSNSで伝えた。彼女も嬉しさを表現した後、「早く抗がん剤も終わると良いね」と返してきた。

でも、と考えてみる。所詮自分は医師の一言ひとことに気持ちが揺さぶられる人生になってしまった。1人で家にいると、頭に付けているOptuneのバッテリーを投げつけたくなることもあれば、抗がん剤が入った週(先週水曜日)には、針が抜ける48時間後も、数日は胃もたれや気持ち悪さが抜けず鬱々とする。しかし、昔に戻ることはできない。

座右の銘は「強い意志が運を呼ぶ」といった藤井裕子さん(ブラジル柔道男子代表監督、女子が「男子」の監督をやるのである)、「生きてるかぎり 生き抜きたい」という市井の方の言葉だが、今回は3本目と行きたい。中谷彰宏さん(俳優、作家)の「心は 自分が 折らない限り 他人が折ることは できない」。

101321 中谷彰宏 心を折らない

(最後の中谷さんの色紙用のものはインターネットから「拝借」した。残る2つは自分の携帯で撮影か自作したもの。続く)