見出し画像

人生に乾杯 42(息子の受験、戻った忘年会シーズン)

2021年が間も無く幕を閉じる今、最近の出来事を振り返りたい。

12月は息子の受験シーズンだった。ピークは13日(月)の1週間、この週だけで3つの志望中学の試験にトライ。結果は2勝1敗、通算で3勝1敗。この「3勝」に本人の第2志望校も含まれているが、我が家の高1の姉は自身が通う学校よりも第2志望校の方が弟に合っていると主張。本人の心は揺れていて、年明けの最終試験を受けようか迷っている。

17日(金)には1週間以上ぶりに地元の公立小学校に戻った。が、帰宅するなり「熱があって気持ち悪い」と言い出した。左で測ると38度台、右は37度台とちぐはぐだったが、本人がしんどそうなのは変わらない。夜になると熱が上がり40度台前後を行ったり来たりしていた。翌日は夕方になって41度を超えた。妻は不在。おろおろする気持ちを抑えながら掛かりつけ医のクリニックに電話すると、小児科の併設がないことを理由に救急相談用の「#7119」に電話することを勧められてしまった(くそッ!)。紹介された中から最初の、家から最も近い病院に息子を連れてタクシーで駆け込んだ。

出てきた医師は「All for Kids」の刺繍が右胸に眩しい若手の医師。一通り体全体を診た後、症状は熱と下痢だけなので熱が4、5日続くようならかかりつけ医に診てもらうよう言われた。多分受験疲れなのだろう。

翌週になると熱は下がったが、下痢が治らない。22日(水)午後に近くのクリニックで診てもらうと「ウイルス性胃腸炎」の診断が出た。下痢止めの抗生剤と整腸剤を処方された(冒頭写真は初めての血液検査風景。院内撮影禁止だろうとは思ったが顔は見えてないし、自分の息子なのでいいだろうと思いスマホで撮影)。「最近流行っててね、高学年ほど症状がキツい」と医師。ここ数日、お腹を抱えてトイレに駆け込む息子を見て、確かに自分も辛かった。

僕の方はこの時期、忘年会シーズンが戻ってきていた。シンガポール時代の友人、新聞社時代の先輩、雑誌編集者、お客さんナドナド。会って多少の酒を酌み交わすだけで時計が戻るのを感じた。年明けには大学時代の同期4人が関西方面から僕のために東京に出てくる。会うのが何十年ぶりという人もいて、オミクロン株は心配だが、想像するだけでウキウキしてくる。

体調は普通に良い。腫瘍マーカーがじりじりと上がっている話は以前もブログに書いたが、12月21日にPET-CT検査を済ませ、翌22日に結果を聞きに三田まで行った。肺腫瘍の主治医加藤先生から画像を見せてもらい、先生の言う通り4つの腫瘍が2つまで減っているのが確認できた。あと2つだ。

他にも転移は確認できなかったのが幸い。頭のアレイも今は休止中(頭皮に潰瘍ができてしまい、21日に脳外科で薬を処方してもらった。写真下参照)なので、今は自分でも驚くほど身のこなしが軽い。あー、こんなに生きるって楽ちんだったんだ!これも年明け12日の診察までかと思うと今から残念でしかたがない。

頭皮の潰瘍処置薬

アレイは熱を発するので、これがないと剃り上がった頭で冬は寒いのだが、クリスマス・プレゼントが母娘とも帽子だったのは内心笑ってしまった。Mobilityが上がった記念に冬休みは家族で旅行に出ることにした。

(新年に続く)