1年以上ぶりに祖母に会いに行ったら存在を忘れられていた話など

挨拶

 こんにちは。音宮 二郎おとみや じろうです。今回は、短めですが、祖母に忘れられてた話を書きます。ちょっとショックだったので、書こうと思った次第です。
 (なお「音宮 二郎おとみや じろう」という名前はハンドルネームですが、都合上、本名のように記載されていきます。)

祖母について

 祖母は、94歳です。元々一人暮らしをしておりました。一年以上前に「例の伝染病」に罹り、危篤状態になりましたが、回復して、それからは老人ホームで暮らしております。
 ただ、最初の老人ホームは平日しか面会できず、親戚一同からのアクセスも悪かったので、土日祝日と面会できて、アクセスの良い老人ホームに引っ越して、今に至ります。

 新しい老人ホームに引っ越したのは、最近で、私も多忙で、感染症も流行っていたので、会いに行けなかった、いや、行こうとしなかったのですが、やっと先日、両親と共に会いに行きました。

話したことなど

 久しぶりに話してみると「誰が誰だか分からないのよ」と言われました。
 少し動揺しましたが、悟られないように「孫の二郎だよー」と自己紹介して、両親も紹介しました。祖母に。祖母に対して、両親を紹介するという不思議な体験をしました。
 でも「音宮家の顔だ」と話してくれて、忘れていても、顔貌で自分の血縁だと分かるんだなぁと感動しました。

 話を聞いていくと、息子・娘の名前は覚えているようでしたが、顔と名前は一致しないようでした。アルツハイマーは始まっていないそうですが、もう94歳にもなっていて、同居している訳でもないので、仕方ないのかなと思いました。ただ、週に1度は誰か祖母の息子・娘さん(私視点だと、父か「おじ」か「おば」)が来ているようなので、それでもそうなのかとも思いました。

 面会時間は約30分で、その中で色々と話を聴きました。

・老人ホームでは、渡した洗濯物の女性分がまとめて机の上(?)などに返却されて、そこから各々の分を分ける。普通は二人で分配するのだが、女性の中に一人「私が全部分配する!」と息巻いて、全部一人でやる方がいる。それに対して祖母は「蹴飛ばしてやろうかと思うね」「長生きしている女性は根性があるよね」と言っていた。

・「お風呂はね、月に1回なの」(※実際は週に2回。おそらく本人の体感として。)「いつなのか分からないけれど、こうやって(何かに捕まるような姿勢)で入るの。湯船に入れて貰ってね、自分でこうやって(身体を洗う仕草をして)洗うんだよ。お風呂は楽しみだね」

・水羊羹をプレゼントして開けてあげて、祖母が食べていると「ホント、甘い物が好きになったね。本当に唯一の楽しみだよ」と言っていた。

 ただ、話をしようとすると、耳が遠いのか、それとも自分が話したいことを話したいのか、こちらの質問には受け答えしてくれず、ただただ、祖母の話を一方的に聴いているだけでした。また、私も稀にやりがちですが、同じ話を二度していたので、面会時間の30分というのは、勿論「感染症などを持ち込まないため」という意味もあるのでしょうが、話をするのにも丁度良いのかなと思いました。

思ったことなど

 何かの本で「『忘却していく』ということは、『死んでいっている』ということ」というような言葉があった気がします。誤解を招くような書き方になってしまいますが、「自分のことを覚えてくれていた祖母はもう死んでしまったのだなぁ」と思い 悲しくなりました。まだ生きているので、それだけは有難い限りなのですが。

 数年前、夜に祖母から電話があり、お盆や年末年始でもないのに「元気してる?今度、親戚で集まって、食事会をしよう」という話を30分くらいされました。その後、幹事を任されていた父が(多忙だったのか)食事会をやる気が全くなく、気が付いたら、その半年経ち、祖母は「例の感染症」に罹りまして、何とか回復してくれて今日に至ります。
 「あのとき、まだ孫の存在も名前も覚えていた内に、どうにか食事会ができたらなぁ」と後悔しました。今では、それは叶いません。
 親孝行・祖父母孝行をメインにして生きる必要は全くないと思いますが、これを読んだ方で、もし「祖父母やご両親に会っておきたいな」と思われたならば、早めに会ってきてほしい」と思います。
 余計なお世話で申し訳ないですが、このnoteはこの一点のみをお伝えすべく書きました。

 ここまで、読んでいただきありがとうございます。今回のお相手は、音宮 二郎おとみや じろうでした。

追記

 蛇足ですが、今後も祖母には定期的に会いに行きます。このnoteを読んでくださった方から「何回も会いに行ったら、もしかすると思い出すかも。という希望がある」と仰ってくださいました。「もしそうなったら、嬉しいな!」くらいの心構えで接していきながら、もし記憶を取り戻さずとも、元気に暮らしている姿を見れのは嬉しいものです。勿論、他のこととのバランスは寛容で、それだけに傾倒してしまっては良くないですが。
 それでは、失礼します。

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