地に落ちて死ぬ麦
みなさんごきげんよう。5期生の高橋です。
私が憧れている生き方は「地に落ちて死ぬ一粒の麦」です。
のっけからいきなり変なことを言い出したと思われると思いますが,新約聖書のヨハネによる福音書からの引用です。
イエスが最後の晩に「地に落ちて死なぬ一粒の麦はただ一粒のままである。だが,死ねば豊かな実りになる」と語ったとされています(訳はうろ覚えです)。キリスト教的な解釈は別にあると思いますが,私はこれを「『自分が,自分が』と自分のためだけに生きる人生は死んでも何も残らない。むしろそうしたエゴを滅した生き方が自分も人々も豊かにする」という意味だと捉えました。そしてそういう生き方に憧れています(ところで,おそらく読者の方々にとってどうでもいいことだと思いますが,私はクリスチャンではなく仏教徒です)。
冒頭で述べた「地に落ちて死ぬ一粒の麦」とはそういう生き方のことを指しています。
林業において言えば,例えば皆伐して今の自分のお金を儲けようとするやり方は「死なぬ麦」の生き方で,保育間伐などで山の手入れをして後の代により良い山を残していくことが「死ぬ麦」の生き方であるように思います。そして私は後者のような林業がしたいです。
…ということを思っていたはずなのに,今私が卒業後のことを考えるときは,自分の生計を立てるために,材の価格がどうであるかとか補助金がどうとかばかり考えています。
あれ?自分の糊口を凌ぐために林業やるんだっけ?俺何がしたかったんだっけ?
「死ぬ麦」であり続けながら人の世で生きていくのは,実に難しきことであるよなぁ,と思う今日この頃です。
なんのオチもない話で恐縮ですが,今回の記事は以上です。
お粗末様でした。
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