私が心の内側を話すことについて
初めまして、ことりといいます。
津和野に来てようやく2ヶ月ほどの新参者ですが、津和野に来る前からの繋がりで『つわのホイスコーレ』の仲間に入れてもらうことになりました。
“お互いの話を聴き合うこと”“今の自分を振り返ってみること”が、私は生きることにとっても必要だと思うからです。
今回は私がどうしてそう思うのか、お話しさせてもらおうと思います。
高校大学の頃、私はとっても“悲劇のヒロイン”をやっていました。
勉強があまり得意ではなく、気の合う友達もあまりできなかったことが大きかったかもしれません。
周りは友達と楽しくやっているように見え、「それと比べて私は」「どうせ私はできないし」と卑屈になり、自分を責めることがライフワークのような数年を過ごしました。
今振り返ると、そうすることによって周りからの注目を集めたかったんだと思います。
卑屈な私でしたが、こんな自分をどうにかしたい気持ちは強く、とにかく私をわかってほしい葛藤を抱えていました。
友達を捕まえるたび話を聞いてもらっていましたが、どうしても話のすり替えやアドバイスが多く、理解してもらえた感覚になったことはありませんでした。
(ですが、ネガティブの塊だった私の話をよく聞いてもらえたものだとも思います)
転機になったのは大学4年生の秋です。
自己啓発のセミナーに参加した時、初めて人に最後まで話を聞いてもらう経験をしました。
うんうんと相槌を打ち、遮られることなく、最後まで私の話だけを聴いてもらえたのです。
再度言いますが、初めての経験でした。
とても衝撃でしたし、満足感でいっぱいになったことを覚えています。
安心感を得た私は、そこから数年かけて私の話したい話をし続けました。
その時もやもやしていることがメインだったと思いますが、引っ掛かっていたことをひとつずつ言葉にしていくことで、定期的に心の棚卸ができました。
自分の感じていることをただ感じるだけでもいいのですが、口に出すってその音や言葉が改めて耳から入るんですよね。
すると言葉が心にダイレクトに響いて、「あ、私こうやって思ってたんだ」と身をもって実感することができました。
それまで誰にも言ったことのない、話すことを躊躇ってしまう話をすることもありました。
『話したら地球が爆発してしまう!』と隠しに隠していた話は、いざ話してみるとみんなするんと受け入れてくれ、地球も爆発しませんでした(不思議!)
今思い返しても何の話をしたのか、もう覚えていません。
そうやって心のしこりを手放していく身軽さを、私は体感していったのです。
今、私は人の話を遮って自分の話をすることはありません。
(あまりに熱量が込もる話をしているときに食い気味になってしまうことはありますが…)
それは私がたっぷり人に自分の話を聴いてもらい、満たされたからです。
人に最後まで話を聴いてもらうことは、自分自身を受け入れてもらうことに直結すると実感しています。
また、話を聴いてもらうことで思考や感情が整理され、ネガティブになりすぎることが減り、私は何をしたいのか、どう生きていきたいのか考えられる余白が生まれました。
私は当時、児童養護施設職員として働いていたのですが、施設職員になりたかった理由が『誰かのヒーローになって認められたかったから』だと気付いた時、すんなりとそれを認めて「もうこの仕事じゃなくても大丈夫だな」と感じたことを覚えています。
どんな自分でも大丈夫だという自信が少しずつ積み重なっていたのだと思います。
その後、縁あって津和野に行くことになり、つわのホイスコーレ立ち上げの話を教えてもらいました。
自分の内面を話すことが振り返るきっかけになることを身をもって知っていたので、ぜひ関わらせてほしいと思い、今みんなで毎日のように連絡を取り合っています。
私がここに携わることで誰かにいい流れが起こるといいなと思っています。
つわのホイスコーレはたった3日間のホイスコーレです。
ですが、忙しなく仕事や家事に追われる生活から離れ、豊かな時間と余白を作ってくれます。
一緒に作ってきた仲間たちはみんな聴くことや対話を心ざし、人と関わることに喜びを感じるメンバーです。
津和野の豊かな自然の中でゆっくり自分と対話する時間を持ちませんか?
お待ちしています。
ことりプロフィール:児童養護施設職員、自然スクール研修生、一時預かり専門託児所スタッフを経て、津和野へ。興味があるのは、アドラー心理学・性教育・犯罪心理学・占星術・刺繍等。最近は津和野で何ができるか、何がやりたいのか、心にフォーカスを当てる日々。
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