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ささやかな日常によりそう柿の種

母は甘いものが苦手だった。
私が小さい頃はおやつの時間なんてものはなく、お菓子が家にあることはあまりなかった。
それでもほんのたまに置いてあるのが柿の種だった。


母はお酒を飲むのが好きだった。
お酒が好きだったのか、お酒を飲んでる空間が好きだったのかは今は分からない。

母は月に一度ほど、近所のお友達を集めて大笑いながらビールを飲んだり、ワインを飲んだりする宴会を開いていた。
関西出身の仲間を集めて関西弁を喋る会やボジョレヌーボーの会など様々な理由をつけておしゃべりに花を咲かせるのだった。

小学校の先生だった母は真面目で私たち兄弟の教育にも熱心だったように感じる。ノートの取り方が雑だったり、テストの点数が悪かったりすると「どうしてこうなってしまったのか」と詰められることもあって、鬼と化した母を止める術もなく怯えるしかなかった。
そんな母がハメを外している姿は子供ながらに少し怖かった。

だから私は月に一度やってくる金曜日があまり好きではなかった。

宴会が開かれる日は、私はリビングでテレビを観ていることが多かった。
テレビを観ていると宴会の会話はあまり聞こえてこないが、何となく耳に入ってきた話があった。
人生の最後に食べたいものは何?というトピック。
どこそこのケーキという人もいれば、美味しいお肉が食べたいという人もいる。
料理上手でそこそこグルメな母もさぞかし立派なものを口にするのでは、と思っていたのに。
「柿の種がいいなぁ〜、やっぱり食べ慣れたものが一番安心するのよ。」

おやつの習慣は我が家になかったけれど、時々やってくるおやつタイム。
柿の種の袋を開けるときの母はいつも嬉しそうだった。
一緒に食べようと私に声をかけ、「特別に二袋食べていいよ」なんて言いながら、袋の裏のコラムを読んでそれについて会話をする。
なんてことない光景だけど、人生の終わりにはそんな光景を思い出しながら、好きなものを食べることができたら万々歳かもしれない。

6パック入りの残りは私が学校に行っている間にどうやら毎回一人で食べ切っているみたいだった。

そんな母は私が高校生の時にお空へ昇っていった。
母が最期に食べたのものは何だったんだろう。
柿の種を食べるたびに、私は母との光景を思い出す。

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