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【売り上げを1.2倍にしたコカ・コーラのやり方が「風俗業」にも使える?】


こんにちは! つーばきです!


昨日「500mlのコカ・コーラが多くのスーパーから姿を消した」というニュースを見ました。


コロナ禍によって運輸コストが上がっているから? 回復しつつある世界経済の影響で石油の需要が高まって、ペットボトルの原料である石油の価格が高騰しているから?


いやいや、そんなことであの「世界のコカ・コーラ」が姿を消すわけはないよな、、、


などと考えながら最後までニュースを見てその理由に納得。コカ・コーラの考え方や行動力は「いまの風俗業界で働く女性にも使える!」と思ったので、今回この記事を書いています。


まずはザックリとした〈コカ・コーラの歴史〉から。


いまから142年前の1880年ごろ、アメリカのとある薬剤師さんが「奇跡の植物」として注目されていた『コカ』を使い、ワインにコカの成分を溶かした飲み物を開発しました。


コカとは『コカイン』のことで、アルコールとコカインが組み合わさると「うつ状態を改善し活力を与える!」ということで、この飲み物は人気商品となりました。


しかし、当時の欧米(ヨーロッパとアメリカ)では禁酒運動が活発になっており、アルコールの入ったワインにコカインを溶かした飲み物も非難対象になってしまいました。


ちょうど日本ではじめての生命保険会社『明治生命保健会社(のちの明治安田生命)』が設立されたり、『伊藤博文さん』が日本ではじめて総理大臣になったころです。


元号で言うと『明治』で、日本ではじめて電灯が灯ったり鉄道が走ったのも、1日が24時間になって1年が365日になったのもちょうどこのころです。


そのころのアメリカでコカインは『麻薬』と考えられておらず、アルコールの方が問題視されていたんですね。


そのため薬剤師さんは禁酒中でも飲めるように、コカを使った飲み物を模索し続け、1886年にコーラ原液と炭酸水を混ぜたコカ・コーラを完成させました。



完成したコカ・コーラは、戦争で傷ついた兵士さんや学者さん、お医者さんや弁護士さんなどの上流階級からも支持されて、発売直後から大人気の商品になりました。


そして1903年になってコカ・コーラからコカが除去されます。アメリカでコカインが禁止になったのは1922年なので、それよりもずいぶん前に無くしたんですね。


1919年の日本の広告や1925年に『芥川龍之介さん』が書いた手紙にコカ・コーラという文字が書いてあるそうですが、コカ・コーラが日本で本格的に販売されるようになったのはそれからずっとずっと後の1961年です。


ちなみに、日本ではじめてコカ・コーラの自動販売機が導入されたのは、コーラが本格的に販売されるようになってから1年後の1962年なんだそうです。



電力を用いて工場での大量生産が可能になった『第二次産業革命』によって、様々なモノ・コトを自動化することができるようになっていたので、コカ・コーラもすぐに自動販売機を導入したのでしょう。


さて、ここまでコカ・コーラの歴史をザックリと書いてきましたが、常に時代の変化に「なる早で」合わせてきたコカ・コーラが、何も考えずに500mlの販売をやめるはずがありません。


多くのスーパーで500mlのコーラが姿を消しているのには、なにかワケがあるはずです。


ここからが今回の記事で非常に重要なポイントです。なるべく、すぐに読み終えられるようまとめるので最後まで見てもらえたら嬉しいです。


※尚、時間がない方は下の画像を参考に一旦『ブックマーク』をして、あとで読んでもらえたら嬉しいです。



コカ・コーラをコンビニや自動販売機で買う人はその場(もしくはすぐに)で飲むことが多いです。


一方でスーパーやドラッグストアなどでコカ・コーラを買った人の約7割は、その場で飲まずに自宅に持ち帰って飲んでいるそうです。


また、その場で飲む人に比べて、自宅で飲む人は1回あたりに飲む量が若干少ないそう。


しかし、一度キャップを開けたコーラは炭酸が抜けやすく、冷蔵庫などで保管しておくと味が落ちます。


だから自宅で飲む用に買う人が多いスーパーなどでは、500mlではなく1人用の350mlと2人用の700mlを置くようにしたんです。


そして「お客さんの需要」に合わせてサイズを変えた結果、売り上げが1.2倍になったそうです。


風俗業界で働く女性の中には「お客さんはお店が集めるものでしょ?」と思っている方もいると思います。


しかしそれは、平成初期から中期にかけての話です。いまは令和4年です。確実に時代が変わっており、集客には「個人の発信力」が重要になっています。


もっと言うと『SNSの営業垢』や『写メ日記』が重要になり始めたのは平成後期で、いまはさらに「工夫」しないといけなくなっています。


みなさんはいつも、気持ち悪いことや本番を要求してきたり、チクストやガシマンをしてくるお客さんばかりで大変なのに、我慢してめちゃくちゃ頑張っていると思っています。


それに、全世界のどのサービス業よりも最高のサービスを提供していると、ぼくは本気で思っています。


しかし残念ながら、それだけでは生き残れません。なぜなら他の女性も同じことをやっているからです。


だから人とは違う「写メ日記」を書いてお客さんの心を掴むんです。だから今日お客さんと話した内容を「お礼日記」に書いて、接客したお客さんにあなたと過ごした思い出を記憶させて、リピートに繋げるんです。


繁盛しているお店で働くことは大切です。当然、他のスカウトさんが案件ツイートしているお店が稼げることは、ぼくもあたりまえに把握しています。


でも、お店を変えただけではすぐに稼ぎが落ちます。あなたと同じように新たな女性が入店してくるからです。あなたについたお客さんが他の女性にとられるからです。


ぼくは女性の実力で稼げた明細をあまりTwitterに載せていません。なぜならどの女性も「私も稼げる」と勘違いするからです。正確には「私もここで働くだけで“ずっと”稼ぎ続けられる」と感じるからです。


ヒトは、当たる確率が低い宝くじを「当たるかもしれない」と感じ購買意欲が湧くそうです。実際に1等が当たる確率は0.000005%なのにです。


あまりにも確率が低すぎて「ほぼ当たらない」という大事な部分が見えず、脳が自分にとって都合が良い方に判断してしまうからです。


それはTwitterで高額な稼ぎの明細を見たときに感じるものと似ているような気がします。目の前の14万、22万という収入に、本来女性が努力して稼いだという事実が見えなくなってしまうからです。


毎日毎日ほんとうに酷いお客さんばかりで、接客するだけでもめちゃくちゃ大変なのに、こんなことを書いてすみません。


でも、ぼくはスカウトとして常に業界の最前線で活動しているので、お店選びだけじゃなく他にも大切なことがあるのを本気で知ってほしくて書いています。


吉原で何年もNo.1だった女性が、コロナのせいでお店が潰れて新たなお店で働き始めましたが稼げませんでした。ずっとNo.1で写メ日記などをやらなくても稼げていたので、新たなお店でも写メ日記を書かなかったからです。


その女性は現在44歳です。写メ日記などをやれるなら稼ぐ方法はいくらでもありますが、いまの感覚のままでこの業界でやっていくのは厳しいと思っています。


その方に対しては大変失礼ですが、みなさんにはそうなってほしくありません。


そうならないように、やり方やコツは日々投稿しています。そしてこれからも投稿していきますし、担当させていただいている女性には必要であればもっと細かい情報を伝えています。


紹介だけではなく、サポートにも力を入れています。これがいまのスカウトに求められる重要なことだからです。


なによりも大変で最高で最強のサービスを提供しているみなさんが、ラクをしている人たちより少しでも多く稼げますように。どうか最高でハッピーな日を過ごせますように。


昨日も今日もお疲れさまです。お身体に気をつけてお過ごしください。そして、どうか少しでもイマドキな感覚になってもらえますように。



- おしまい -

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