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上へ (5) - 紅白まんじゅう一気 -

卒業式当日、教室に戻ってきた僕たちに、桜庭先生は「じゃーこれを返すー」「今回もトップは、やっぱり石澤でした」と言って、国語の期末テスト採点済み答案用紙授与式をした。

三分の二くらいは、すぐゴミ箱に丸めて捨てに行き、「こらー!捨てるなー。ちゃんと持って帰れ!」と桜庭が叱り飛ばす。
慌てて、くしゃくしゃをのばし始める皆がいた。

ひとりで校舎を出て、焼却炉に向かった。ロッカー、机中につっこんであった全ての教科書、ノート、教材、作業服(実習着)、ジャージ、中学の部活からの柔道着(帯はシャカ H.Aから)、全部、炉口から落とした。
残したのは、紅白まんじゅうと卒業文集、襟カラーだけである。

足取りも軽く繁華街のマルキデパートのトイレで、紅白まんじゅう二つ一気に口に詰め込んで、そのまま駅へ。

藤崎に戻って夕刊を配り終わったら、僕たち3年B組の打ち上げに参加するのでまたとんぼ返りだ。生徒指導の青山らが「納会をするな。市内を見回りに行く。就職が取り消しになったやつも過去にいる」と、脅してきていたが、幹事のとくちゃんはもちろん軽く無視である。

僕はリーバイスのジーンズに、黒のノースリーブに黒のNEO TOKYOのジャケット、黒の靴下に、黒のリーガルのローファーで出席した。

ビール一本に日本酒少しで何故かすぐ酔っぱらって、気持ちが悪くなってきた僕は、ひとり酔い醒ましに街をぶらぶらしに行った。
1時間後?だろうか。戻ってみると、その階に一つしかないトイレが順番待ちでつまっていた。

みんな「ほわー」っとしているようだった。僕は前から少し「カワイイな」と思っていた女子とまっちゃを誘って肩を組み合って、かるく跳ねながら右足を上げ下げするチアダンスをして盛り上がった。

〆宴。

藤田くんがものすごく酔ってしまったようで、皆で最寄りの溝江の家で介抱した。

落ち着いてきたので、ムネオとまっちゃ?だったかと僕とで始発まで市内のてっちゃんの家で休ませてもらうことにした。
トランプで「関係」のルールを教えてもらいながら、最後まで覚えきることはできず朝をむかえた。

朝方、ストーブで暖かくなっている駅の待合室に着く。
僕はこの時のために280円丁度を残していた(定期券で帰る)
朝飯、かけそばを食うために…。
それはそれは、とても美味く感じたかけそばで、汁も全部すすった。

藤崎駅に着き、デッキから降りると、ぷるるんがいた。弘前まで行くのだろう。軽く会釈をする。

卒業式がまだのところもある。とりあえず、まだ朝が早い。家に帰ろう。
そして寝るのだ。夕刊を配り終わったら、囲めるかどうかべべの家に行ってはみよう。

自転車。晴れて、車道の両側に雪が押しやられて、溶けて眩しさを跳ね返している。

もうすぐ、みどり団地だ。くどいようだが、寝るのだ。

……

仲間内、最後の打ち上げ。せいのちゃ、よしたか、くどたか、ベゴちゃん、やけん、べべ…。
ひとり一本は酒を持ち込むことにした。

やけんはNOSIDEというウイスキーだったが、早々と酔い潰れ「弱えぐなてまたよー(弱くなってしまったよー)」とずぅっと横になっていた。

味噌もつ、豚サガリを、麻雀は囲わず、夜は更けていく…。

もう、明日はここを出る…。


朝、弘前の和徳(わっとく)にある、洋服の青山に、広栄の軽トラに乗せてもらい裾直しを頼んでいたスーツを受け取りにいく。ノーマルなグレー。

そして、平田ハナが来てくれた。まとめた荷物も軽トラで、一回で近所の宅急便屋まで持ち込めた。顔なので会社に提示する領収書の金額を水増ししてもらう。

さて、出かけよう。「行ってくるや」ドアを開ける、振り返り見る、母親の顔。

…僕が上に行くというので、平田家が僕を家に呼んでくれて激励してくれた。思いもよらず、北海道に住む親戚からも送別が包まれて届いた。合わせて10万円くらいだったと思う。それに僕はお礼の電話も手紙も何も返さなかった。礼に欠くということを知らなかったのである。

…今は、感慨深くなんてしていられない。


せいのちゃとべべが藤崎駅まで……。

上へ。

上へ。


…上へ

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