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児童相談所65日目。「“期待しない“ことの難しさ」

 「家に帰りたい」そう言って泣いていた彼も、今日は僕が来ることを喜んでくれた。ここに慣れることはよいのか悪いのかわからないけど、落ち着いて眠れるようになるほうが子どもたちの健康にとってはよいことなのかもしれない。

 僕がここに来るようになって1年経つけど、保護児童の人数が今が一番多い。人数が多く、そして年齢幅が広くなれば気質や気性も様々で、落ち着いている子もいれば、暴れ回る子もいれば、「眠れない」と泣き出す子もいる。

 この人数を、そして人数分の言動や行動を落ち着いて対処しなければいけないんだけれど、そこまで人間できていないから、心の奥底でイラッとするってことは、怒鳴ったり手を出したりしてしまう親がいても仕方ないのかなぁなんて考えてしまう。

 世間は簡単に、やれ虐待だ、やれネグレクトだなんて言うしそれを短絡的に批判の対象にするけど、精神的な余裕が相当ないと落ち着いて対処なんかできないだろう。

 人は自分の期待通りに世界が動かなければ、苛立ちが募る生き物だから、僕はなるべく子どもたちには“期待しない“ことにしている。期待しないほうが精神的ダメージも少ないし、その中で期待しないのに期待を超えてできた子どもたちがやけに輝かしく見える。

 それでも人は他人に期待をする。

 家族でも夫婦でも友達でも、期待するから関係性が悪化するけど、そうしてしまうのは期待しないことが難しい証拠なのだろう。

 本当は、生きてるだけでまるもうけなんだけどね。本当は、元気に走り回ってるだけで十分なんだけどね。それでもやっぱり欲を出して期待してしまうのが人間。

 さっきまで「ママ、ママ」って泣いていた子も落ち着いて布団に入った。消灯時間が過ぎても部屋から出て走り回っていた子も静かになった。

 期待してなかったけど、どうやらみんな眠りについたみたい。

 明日も子どもたちにはなんの期待もしない。あるがままを受け止めるために、しっかり睡眠をとって心に余裕を持たせておきたいと思う。

 

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