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カレーロプレリス・ヨウアン

宇田川榕庵 都苦抜涅 標本届けし
シーボルト 榕庵名を学名に 約束するも
Buckleya lanceolata と名付けたり
宇田川榕庵 知るよしも なし

※「都苦抜涅」はツクバネのこと。現在の「衝羽根」に相当する。
※図譜は『植学啓原』3巻図1巻. [3]、第七図。国会図書館デジタルコレクションhttps://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2555813?tocOpened=1の26コマ目から。

 宇田川榕庵(1798年 - 1846年:江戸時代)は津山藩医(江戸詰)で、『植学啓原』を著し、日本で始めて植物学を紹介した。
 榕庵がシーボルトにツクバネの標本を届けた折、学名「カレーロプレリス・ヨウアン」とするとしたが、シーボルトがオランダに帰国後にツッカリーニとともに著した『日本植物誌』では、Buckleya lanceolataとし、榕庵の学名は幻に終わった。

 IPIN(International Plant Name Index)によると、「Buckleya lanceolata (Siebold & Zucc.) Miq.」となっている。シーボルト、ツッカリーニの名前が付加されているが、榕庵との関わりについては、ミクエルも思い及ばなかったであろう。ツクバネの記載はBuckleya lanceolata Miq., Cat. Mus. Bot. Lugd. Bat. 79.にある。

 シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold;1796年 - 1866年;ドイツ)は、医師・博物学者で、日本に来て、出島で医師として働く一方、植物を蒐集し、研究する。帰国後、『日本植物誌』(1835年-、第1巻第1分冊刊行)を著す。『日本植物誌』は2巻に分けられている。実際の書名は長く、略称してFlora Japonicaとされることが多い。
 ツッカリーニ(Joseph Gerhard von Zuccarini;1797年 - 1848年;ドイツ)は植物学者であり、シーボルトとともに日本の植物を蒐集し、研究した。シーボルトの『日本植物誌』は事実上ツッカリーニとの共著と目されている。
 ミクエル(Friedrich Anton Wilhelm Miquel;1811年 - 1871年;オランダ)は植物学者であり、シーボルトとツッカリーニの遺稿の整理し、『日本植物誌』第2巻(1870年、最終分冊)を補充し、校訂したと言われている。