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妻の記録:ナシはどこ行った

妻の手のリハビリからの帰りに、買い物に行った。もうスイカがないので、代わりのものとして梨(ナシ)を2つ買った。今年のナシは美味しい。迷わず「豊水」を購入した。地元産のシイタケ(最近、栽培方法が変わったのか、今までにない味)を買い、ナス料理が間をおいているのでナスを買い、ピーマンを買い、油吸収剤もないので、カゴに入れた。

いつもは自分で払うが、たまには妻にやらそうと思って、妻がレジで精算し、買ったものをバッグに移す。買い物を済ませ、帰途に着く。ごくうの散歩時間が迫っている。

家に帰り、妻は買ってきた商品を置くべき場所に置く。買い物バッグをいつもの場所に置き、妻はナシを冷蔵庫に入れて冷やそうと思ったのか、「あれっ、ナシがない。」

「お父さん、除けた?」

妻が聞いてくる。買ったかどうか、レシートを確認してみると、ちゃんと買っている。

「おかしいね」

妻が訝しげに確認する。ごくうは散歩に行けると思って準備万端。帰って探そう、妻が探す中出かけていく。

ごくうは坂を下がる道を選んだ。交差点を渡り、川筋を下っていく。頭の中では、買い物を反芻しながら、ナシのことを考えるとはなしに考える。橋を渡れば、ごくうをなんとか可愛がろうとする夫婦の家がある。ごくうはなかなか応じていない。ごくうは振り返りもせずに、まっすぐ進む。

ナシを思い巡らせていた頭がふとひらめいた。妻は果物や菓子を買って帰ると、よく仏様にあげている。特に、2つ揃えて買ってきたものは仏様にあげることが多い。

携帯電話を取りだし、妻のスマホに電話する。

「仏様にあげた?」

妻はスマホで話しながら仏壇の前に。ナシを見つけて自分がお供えしたのを思い出した。妻は買い物すると、自然にお供え物をする。今回は無意識のうちに行い、記憶に強く残っていなかったのだろう。最近は、妻は自分のしたことが認識の残らないことが多い。何度も聞き返すことがある。

飜って考えた。AIは、このようなとき、思いつくことができるのだろうか。

ごくうはそんなこと関係ないとばかりに、先を急いでいる。いつものコースをなぞりながら、帰る途中で高齢婦人に出会った。

「まだ歩いちょる」

この語録は2回目だ。散歩時間を心得ているようだ。高齢婦人と別れて帰り道。信号でピタリと止まり、見上げてくる。抱っこの合図だ。〆の抱っこには早いが、いつものことだ。

入れに帰れば、お風呂で四肢を洗い、口を濯ぎ、身体を拭いて、今に猛ダッシュ。ガムが飛んでくる。

(今日は食べてくれるだろうか。)