心はチクワのように丸く、穏やかに、心閉ざさず、チクワの穴のように先を見通す目をもって
昭和の大学時代、京都・出町柳に友を尋ねた。友と一緒に夕食。まかない屋に出かけた。裸電球の下で出てきた賄い食を食す。ちくわの天婦羅?知らなかった。母親が海の側で育ったのに、磯辺焼きは作っていなかった。他の天婦羅と一緒に食したが、磯辺焼きは、友情とともに、心に沈殿。
ヒトは漁猟を覚えた。魚を獲れば、調理を僅かにして生食(今では、妻が刺身大好き人間、そういえば、握り寿司?)、焼き魚、煮魚、魚肉をすり潰すことまで覚え、細竹に包んで、煮たか、焼いたか、「ちくわ」となった。※てんぷらはどうなる?ローマ時代にも魚の練りは覚えているようだ。
ちくわ・竹輪は日本に、韓国には「オムク」があるという。中国にも「魚丸」や「魚糕」といった魚のすり身を使った食品があるという。コウケンテツが必要なようだ。
*修正しな方がいいようだ。昔の伝統的な話のストーリーに倣っているが。文を童話風に改善すれば、それなりになるか。