青春編:みかどもち(三角餅)
画像:三角餅(みかどもち)http://blog.yamaguchi-bussan.jp/bussan/2008/11/post_20.html
山口県柳井市の藤坂屋銘菓「三角餅」は、名前のとおり、形もパッケージも三角で、やわらかい三角形の餅のなかに、餡がぷっくりと包まれている。
この三角餅が全国的に話題になったことがある。三角餅は大福であることから、「三角大福」と比喩された。当時、佐藤栄作の退陣に自民党内で後継争いがあった。
三角大福の「三」は三木武夫、「角」は田中角栄、「大」は大平正芳、「福」は福田赳夫を示す。いずれも自民党の実力者である。結果として、第6代は田中角栄自民党総裁、第7代に三木武夫自民党総裁、第8代に福田赳夫自民党総裁、第9代に大平正芳自民党総裁の順になった。
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国木田独歩の父は司法省の役人だった。独歩は父と共に、中国地方各地を転任したため、独歩は5歳から16歳まで山口、萩、岩国、広島などに住んだといわれている。
藤阪屋は創業200年を超える、この間(1892年2月から1894年の2年間)、国木田独歩が寄居している。そのときに書き始めたと思われる、「置き土産」を『太陽』(1900年12月)で著している。
*青空文庫:置土産/国木田独歩https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/files/42198_34793.html
藤阪屋は柳井市の柳北と言われる地区にある。その地区の小学校に、インテリア事業を営んでいた父が、緞帳を付けることになった。その手伝いに出かけた。小学校の講堂には、婦人後援会が手伝いに来ていた。春休みに緞帳を掛けるため、集中的に仕事を行っていた。
ある日、婦人後援会の中の一人が娘を連れてきていた。同じ学年だった。来年から中学校へ進学するという。中学校は同じ学校区になる。親同士が作業している間に、その娘も一緒に手伝っていた。皆で黙々と作業し、緞帳が完成する。
春になり、中学校へ進学した。柳北の娘と同じクラスになった。それも席が隣同士になった。小学校の女子の恐れが形を変えて蘇る。勉強の集中度ががた落ちになり、とうとう54番中52位になってしまった。(当時は1クラス55人くらい。)
中学校2年生になり、クラス替えがあった。しかし、成績は低空飛行が続いたままだった。クラス担任は社会の教科だった。社会という教科に関心はなかったものの、担任が機会があるにつけ、インスパイアしてくれた。社会が好きになり、成績も上がっていった。
しかし、友達と図書館教室の廊下をはしゃぎながら走っていたとき、ある先生に咎められ、頭を殴られた。しかし、友達は殴られなかった。友達はボーイスカウトとして活動していた。その先生はボイーイスカウトの顧問だった。不合理を感じたが、勉強も一部の教科を除いて、ままならず、高校への進学が迫ってきた。
中学2年生の学年末前に親が呼び出され、このままでは進学校への進学は絶望的だと言われた。
---続