過ぎ去っていく乙女は、初夏の薫衣草のように、かすかに揺らめき、心に残り香を残す。
*薫衣草(くんいそう)は「ラベンダー」。ラベンダーの原産地は地中海沿岸とある。ラべンダーは、日本に、江戸時代の17世紀後半に長崎(オランダ商館)経由で伝わり、穏やかに広がっていった。後に、北海道が。
ごくうは散歩が大好きだ。時間が来ると、側に来て、「ワン、ワン」怒りを忍ばせる吠え方。季節が変わり、散歩時間が変わってくると、心得たもので、微妙に時間をずらしてくる。
初夏を向かえる頃には、散歩時間が中学校の下校の時間に合致する。同じ団地に住む中学生が数人いる。出会えば、ごくうは鼻泣きで近づく。中学生も心得たもので、ごくうを失望させないようにちょいかわいがりをして帰宅していく。
団地の中に、親しい家が何軒かある。そこのお孫さんが、儀礼もあって、ごくうを良くかわいがる。ごくうもよくわかるのだろう。甘え方が少し違う。腰をひねり、ベビーコーンのように短いが、尾も振る。
10数年前、オープンカーで、カップルが団地の直線道路を颯爽と上がっていくのに出会った。「わたせせいぞう」張りのオープンカーに、「わたせせいぞう」張りのカップルだ。漫画で見た記憶通りの走りだ。彼女を家に連れていくのか。
彼の父親は病院を経営している(彼も医学部、青年時代、ドンという黒いドーベルマンとよく散歩し、出会っていた。その時、犬は「さくら」)。彼女を親に引き合わせるのか。瞬間、そう思った。
それから数年が経過し、中学生のころ、団地から中学校に通いだした。その通学中に祖母から聞いていたのか、ごくうを可愛がり出した。
ごくうもよくしたもので、散歩時間が物足りないと、団地の中を散歩していく。ある土曜日の夕方、ごくうは実家に帰宅していた中学生の親が自宅に帰るのだろう、帰り支度しているときに出会った。中学生は姉妹だった。妹はまだ小学生のよう。二人してごくうを可愛がる、雨の中。
両親はあわただしく帰り支度。挨拶もそこそこにごくうは踵を返す。姉妹は家の中に引き揚げた。ごくうの背中に車の発信音が鳴り、風のように走り去っていく。※偶然はあるものを知る。
3年目になると、さすがのごくうも挨拶が淡泊になる。それでも、中学生は挨拶をしながらごくうを撫でる。ごくうは中学校で話題になることがあるのだろう。何人もの中学生が、男女を問わず、ごくうを撫でていく。
ラベンダーのニュースが入ってきた。中学生はいつものようにごくうを撫でて去っていく。ごくうは振り返らず、挨拶を終えると、先を急ぐ。妻が後追いで、中学生に挨拶し、ゆっくりと歩いてくる。
中学生は親の元からは通っていない。何か事情があるのか、考えを巡らす。聞けば、母親は女医という。二人とも、医局勤務と聞く。中学生は寂しさを見せたことはない。いつも足取りがしっかりと、颯爽と歩いている。※背が高い方だ。
彼女も医学部を目指しているのだろうか、頭に過るが、ごくうはお構いなし。散歩を急ぐ。