ごくうが行けば:「あるよ」

ごくうのワクチン注射が1年に1回来る。獣医から前もってハガキによる連絡があり、指示された日にち付近で注射に出かける。もともと車に乗るのは苦手だ。

ごくうを譲り受けるとき、
「なんでも食べますよ」
「車にも酔いませんよ」
念を押すように告げられていた。車に酔うことはすぐに分かった。帰り道の車中で戻しそうになり、ゲホゲホと咽(むせ)んだ。幸い、距離が近かったので、家に帰ると、狂ったように部屋の中を走った。

ほぼ病院に行くとき以外は車で連れて行かない。お気に入りの散歩コースだと分かると、辛抱していた(今はそれも行っていない)。

病院につくと、ごくうはお庭をちょい散歩。先客がいた。しばらくすると、シルバー男性が一人で出て来た。妻は入れ替わりで獣医さんのもとにワクチン注射を告げに、診察室に入る。

ごくうを見やりながらシルバー男性の動きをみる。

(あれっ、動物は?)

シルバー男性は車のドアを開きかけたが、思い出しように診察室に急いだ。

診察室の中では、妻が獣医に「先生、ワクチンの注射を・・・」言いかけたところに、シルバー男性が少し慌てるように診察室に入り、診察台の上のペットキャリーを無造作に掴んで診察室を出ていった。

ちょうどごくうを抱き上げ、診察室に入ろうとして向きを変えたところで、シルバー男性はペットキャリーを助手席に置き、さっさと発進して出ていった。

ごくうのワクチン接種を終え、家路を辿る。ごくうは助手席で、妻は後ろの座席。

---診察室で。

妻はシルバー男性がペットキャリーを置いているのは「入院かな」と思ったらしい。

シルバー男性が特に慌てるでもなく、空いていたドアから入り、診察台のペットキャリーをむんずと掴み、診察室を出ていった。

「先生、あの人、忘れちゃったのでしょうか」
「そうじゃろう」
「そんなことあるんですか」
獣医はこともなげに。
「あるよ」

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妻を乗せて、車で出かけることもある。

妻は車で帰り道、ごくうが待っていることを思い出し、シルバー男性の挙動を思い起こしながら、時にその件(くだり)を語る。「妻の語り草」に入りそうな頻度である。

「先生、あの人、忘れちゃったのでしょうか」
「そうじゃろう」
「そんなことあるんですか」
獣医はこともなげに。
「あるよ」