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貝原益軒と名もなき学徒

本草の泰斗 貝原益軒 乗り合い船上にあり 静かに耳を傾ける
若き書生 植物を語るに 滔々として 才力を誇る  
習わしの 船下りたる時に 名前告げる 貝原益軒と
驚きし 若き学徒 凜とする 敬慕の 挨拶 
貝原益軒 去りゆく書生に 植学の息吹を 感じたり

・表題画像は国会図書館デジタルコレクションの『大和本草』の1巻には画像がないので、2巻https://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2557464?tocOpened=1の表紙画像を加工したもの。
・明治時代の小学校の教科書に、貝原益軒の逸話がある。また、これに関する芥川龍之介https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.htmlの中に「貝原益軒」に関する小話がある。これを書き換え、解釈変更して表現したものである。
・貝原益軒(1630-1714、筑前国)は、中国の『本草綱目』をベースにして、日本に関する博物(動物・植物や鉱物)に焦点を絞り、『大和本草』(1709:79歳)を著す。『養生訓』(1712:82歳)の著者としてよく知られている。
・本草学(ほんぞうがく)は、中国古来の植物を中心とする薬物学であり、江戸時代初期から中期にかけて発展した。
・19世紀中頃に宇田川榕菴によって名付けられた「植学」は、やがて「植物学」として認識される。

・青空文庫:芥川龍之介https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/158_15132.html

貝原益軒
 わたしはやはり小学時代に貝原益軒(かいばらえきけん)の逸事を学んだ。益軒は嘗かつて乗合船の中に一人の書生と一しょになった。書生は才力に誇っていたと見え、滔々(とうとう)と古今の学芸を論じた。が、益軒は一言も加えず、静かに傾聴するばかりだった。その内に船は岸に泊した。船中の客は別れるのに臨んで姓名を告げるのを例としていた。書生は始めて益軒を知り、この一代の大儒の前に忸怩(じくじ)として先刻の無礼を謝した。――こう云う逸事を学んだのである。
 当時のわたしはこの逸事の中に謙譲の美徳を発見した。少くとも発見する為に努力したことは事実である。しかし今は不幸にも寸毫(すんごう)の教訓さえ発見出来ない。この逸事の今のわたしにも多少の興味を与えるは僅わずかに下のように考えるからである。――
 一 無言に終始した益軒の侮蔑(ぶべつ)は如何に辛辣(しんらつ)を極めていたか!
 二 書生の恥じるのを欣(よろこ)んだ同船の客の喝采(かっさい)は如何に俗悪を極めていたか!
 三 益軒の知らぬ新時代の精神は年少の書生の放論の中にも如何に溌溂はつらつと鼓動していたか!