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読書メモ:鉄砲同心つつじ暦

画像:https://www.tis-home.com/megumi-aratame/works/16598から。

本日も晴天なり-ツツジの背景-

花を題材とする小説はかなりあるが、花の風味に合わせた表現方法になることが多い。

現代では、ツツジは風景に馴染んで、多くの人に自然と受け入れられている。日本には自生ツツジが22種あり、古代より目を引いて鑑賞されてきただろう。平安時代には庭に植えられ、身近になる。

*ちなみに、キリシマツツジが薩摩(鹿児島県)から徳川秀忠時代に伝わっている。植木屋三代目伊藤伊兵衛がツツジを育種し、栽培し、品種改良し、『錦繍枕』を発行している。当時、三代目伊藤伊兵衛は「江戸随一の園芸家」と称されている。

江戸時代も、元禄(1688年-1704年)・宝永(1704年-1711年)年間は政情も安定しており、経済活動も安定している時期であった。庶民生活でも園芸に興味を持つ人が多くなり、植木屋もそこかしこで見られるようになっていた。

この時期、ツツジも園芸の対象となり、ソメイヨシノと同じように、ツツジの栽培も盛んに行われるようになる。園芸品種が多く誕生し、多く生産されていく。

*江戸時代:駒込の一部は染井と呼ばれ、巣鴨と共に花卉・植木の一大生産地として知られている。 

江戸末期になると、文化(1804-1818)年間の頃から、ツツジの園芸も染井から大久保(新宿区)に重心がシフトしていく。

この大久保には代々この地を守ってきた鉄砲同心がいた。鉄砲同心は百人組組屋敷を与えられており、17万坪(56万平米:東京ドーム4万7千平米)にも及ぶ。

鉄砲同心たちは火薬の原料を転用し、ツツジ栽培に尽力していく。時季になると、ツツジが美しい花を17万坪に亘って咲かせる。人々はそれを求めて集まり、大久保は江戸の名所となって行く。他方で、園芸ツツジ栽培は鉄砲同心の副業(内職)となる。

関東ローム層は火山灰や酸化鉄を含む赤玉土と言われるものであり、弱酸性に傾いている典型的な酸性土壌を示し、ツツジの用土として適している。

大久保の天保同心一家(礫家:つぶてけ)に、ツツジの栽培に傾注し、類い希な才能を発揮する息子・丈一郎がいる。鉄砲の火薬を扱うことで、ツツジ栽培に必要な肥料- 肥料の三要素(窒素、リン酸、カリ)を調達しやすい。

ツツジ栽培に情熱を燃やす丈一郎を中心に、その一家の人々や、一家の回りのさまざまな出来事に巻き込まれ、事件に巻き込まれていく。


*梶よう子(2021年)『本日も晴天なり 鉄砲同心つつじ暦』(文芸単行本)集英社、Kindle版あり。