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飛んでいく蝶、門出のスイートピー

その昔、広島の旭橋近くに花屋があった。近くの交差点から20メートルくらい西方面の旭橋に近かった。「トレモロ」という店名だった。夫から引き継いだ経営主が単に音楽好きだったらしい。割烹着のような「エプロン」を着ていた。

しばらくして、もう一人のエプロンが並ぶように花の世話をしている。エプロンの下の和服が華やいでいる。かいがいしく舞うように花を扱っていた。(誰?・・・)思わず頭の中で囁いていた。

姪が手伝いに来ていた。

「叔母さん、スイートピーが売り切れています」
「それは・・・すぐ仕入れなきゃ」「2月、3月はスイートピーを切らしたことはないわ」「切らすことができないのよ」

叔母の花屋は繁盛していた。姪が買い物から帰ってくると、二十歳前の若い女の人が花を求めて来ていた。涙ぐんでいる。自分の意思に反して涙が溢れそうになる。彼女は必死で人差し指を目元に添えて、堪えるように藻掻いている。

何とかして取り繕いたい。笑顔を作ろうとすれば、逆に顔がこわばる。叔母が側に立ち、励ますように、なだめるように、肩を軽く叩いている。叔母は優し気に、思いやる笑顔を浮かべている。

姪が店に帰ってまもなくその若い女性客は帰って行った。叔母が外まで見送り、店に戻ってきた。

「あの娘(こ)、小さい頃からお使いで花を取りに来ていたの」「大学に進学し、実家を出て一人暮らしを始めるんですって」「ときどき、おしゃべりをしていたわ」「今日は彼女がスイートピーを買いに来てくれてね、その花言葉を教えてあげたの」

叔母はスイートピーを揺らしながら、

「ほらね、蝶がいまにも飛んでいきそうでしょう」「そんな形の花だわ」

若い女性客は、実家を出る前日、年の離れた姉が自分の部屋にそっとスイートピーを飾っておいてくれたらしい。叔母から花言葉を聞き、思わず思い出していた。

姉は、東京に行ってしまう妹を心配していた。しかし、同時に、新しい生活をおくる年の離れた妹にエールを送り、スイートピーに託していた。

スイートピーの花言葉は、花弁が蝶の飛び立つ姿に似ていることから、「門出」とされている。

それから、10数年、花屋トレモロの前を走る道路が高架化された。叔母は店をたたみ、一筋奥に引っ越した。姪はフランスに旅立った後、中心部の花屋で働いているという。その店には、必ずスイートピーが置かれている。

Fin

スイトピーが必要なときには、お越しください。

※下記『花のようなひと』・「姉の気持」6-9頁を編改作。


・佐藤正午/牛尾篤画(2005年)岩波書店。