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Short Story:悪ガキ小寿朗の変身

小寿朗は悪ガキだった。悪ガキのまま学生になった。入学後から時に悪ガキが出たため、3回生になっても、一般教養科目に穴が開いていた。

同じ学部に友がいる。友は川端と言った。ある日、川端が「民法」の講義が終わると、誘ってきた。

「昼から遊びに行こうぜ」

昼の3限目に「数学」を履修していた。父親が学究肌で、数学を志していた。小寿朗には兄がいる。兄も数学が好きで、得意だった。小寿朗は数学を嫌いではなかったが、あまりにも優秀な兄と比較されるのがイヤで、控えめにしていた。

「なら、その後、行こうぜ」

川端は強引だった。小寿朗は悪ガキだったが、根は几帳面な一面も持っていた。数学の講義が終わると、大学の正門で待ち合わせていた川端と合流した。

「おい、阪急で行くぞ」

「どこへ」

「いいから、いいから、付いてこい」

十三駅の地下道に向かって話しながら歩いていた。友が急に立ち止まった。前を見ると、反対方向から、乙女が二人、並んで歩いてくる。

背筋が伸び、凛とする佇まいにたじろいだ。見たことのある制服だった。(あの、グレーの制服は・・・)川端と顔を見合わせる。川端と小寿朗は自然と顔を見合わせていた。(宝塚!)清楚感が漂ってくる。乙女二人の歩みに変化はない。静に近付いてくる。擦れ違う手前で彼女たちは、軽く立ち止まり、微笑しながらたおやかに会釈をした。

川端と小寿朗はその場で立ち尽くす。その側を二人の乙女は、かぐわしい香りを漂わせて、過ぎ去っていった。川端と小寿朗の脳裏には、しっかりと刻み込まれてしまった。

狼狽えるように立っていると、後ろから若い女性の声がした。

「何をボーッとしているんですか」

素の自分を見られたような気になって振り返ると、二人の女子学生が含み笑い気味に近づいてきた。一人は川端と同じクラブに属し、美祢という1回生のマネージャーだった。一緒にいたもう一人の女子学生は川端も知らなかった。川端と小寿朗は緊張気味に軽く会釈する。

川端と小寿朗は心の中で快哉を叫んでいた。

(今日はなんという日だ)

「幸恵さんよ、さっちゃんね」

小寿朗は目を瞠った。(以下はjokeです:頭の中で思わず「タイプ」と思ったとか、思わなかったとか)

気がついた川端が「おいっ」と肘で小突いた。

美祢と幸恵は小さくプッと吹いた。小寿朗はかなり動揺していたらしい。

駅の改札で、2組は上りと下りに分かれて列車に乗った。小寿朗は川端がどこに連れて行ったかをはっきりとは覚えていない。アパートに帰ってからも余韻に浸っていた。

*スポーツ科学:1960年代頃から。

美祢は自身でもスポーツをしていた。長身で身体も均整が取れていた。マネジャーでも、1年生ながら、スポーツを科学としても捉え、理論家肌だった。川端の話すことには、理論と実践を合わせて究めるタイプだったようだ。川端も美祢と連れ立っていた幸恵については、聞けずにいたらしい。

学期末になり、全学共通の特別講義があった。川端と小寿朗は連れだって臨んだ。テーマがスポーツ史だったので、美祢も出席していた。予想通り、美祢は幸恵と連れだって来ていた。幸恵は学部が違うものの、美祢に誘われるまま出席していた。

特別講義の後、美祢がカフェに行こうと誘ってきた。美祢は1回生、川端は3回生。美祢は川端を先輩として認識しているが、コーヒーの注文を終わると、堰を切ったようにスポーツ史の話しを始めた。川端はタジタジだ。小寿朗は二人のやりとりを目を丸くして聞いている。幸恵はよそ行き顔で聞くとはなしに聞いている。

コーヒーが運ばれてきた。川端は話題を変えようと、目で合図しながら、美祢に尋ねた。

「紹介してよ」

美祢は幸恵を見ながら、短めに応える。

「リケジョよ。」

小寿朗は内心慌てた。(理学部・・・数学・・・)頭の中で反芻する。美祢は見透かしたように言い放つ。

「植物よ」「分子生物ね」

小寿朗はホッとする。川端がすかさず尋ねる。

「なんで・・・二人は・・・」

言いかけたとき、

「高校の同窓生よ」

「君は丹波の出身だったよね」

美祢は頷き、幸恵は軽い会釈をする。

「これでいいでしょ」

美祢は再びスポーツについて熱弁を振るう。

小寿朗はカフェの余韻を楽しんでいる。川端も余韻を楽しんでいた。美祢があんなに熱弁を。(俺って、マゾッケがあるのかな・・・)川端は美祢から弄られるように、諭されるように話されていた。

小寿朗と川端は3回生の期末試験でやらかしてしまった。後で考えると、悪ガキの名残りだった。必須科目を落としてしまい、キュウキュウする時間割となってしまった。小寿朗は父親に叱られるのを避けようと一心不乱に講義をこなしていた。川端も同じ様だった。

二人が美祢と幸恵に会う機会はキャンパスでの数回の立ち話しかなかった。が、小寿郎は幸恵とだけ、生協で偶然出会い、カフェテリアで食事したことがある。しかし、話はもどかしいだけで、思うように話すことはできていなかった。

幸恵は地元の名産の黒前の由来を小寿郎に話していた。京の都に「典藥寮」があり、都の騒動で「典藥寮」の薬園師が密かに中国から伝来していた黒豆を持ち出し、丹波篠山で栽培を始めたという。小寿郎の脳裏にかすかに残ったが、目の前の幸恵の魅力で話された記憶はほとんど飛んでいた。

*典藥寮・薬園師:宮廷には内薬司(医療を行う)があり、それとともに、典藥寮は医療関係者の養成および薬園等の管理を行った。その中に、薬園師がおり、植物の栽培もおこなっていた。

上の空ごとくの小寿郎を前にして、幸恵はその時じれったい思いをしていたが、小寿郎の誠実さを見抜いていた。


川端も小寿朗も単位を落とすこともなく、無事に卒業し、東京へ就職し、それぞれ別々に上京した。美祢と幸恵の話が伝わることがなくなった。

小寿朗は入社以来、社員教育・研修・実習が相次ぎ、部署に配属された。やがて、忙しさに大学時代のことが朧気になっていったが、十三で相次いで出くわした美女二人の2組が代わる代わる思い出される。もう悪ガキは小寿朗から消えていた。(幸恵に会いたい)心の片隅に湧き出ていた。

時が経ち、小寿朗は機械設備部門に配属になっていた。8月中旬、福知山への出張命令が下った。夏休暇に郷里に帰ろうと計画していた。

そういえば、(丹波篠山は近くだな)、小寿朗は頭の中で呟いた。仕事終わりの翌日には、夏期休暇をすでに取っていたので、丹波篠山駅に降り立っていた。幸恵が話していた丹波の黒豆をかすかな記憶に頼りながら、畠に広がる黒豆を眺めていた。(まだ、枝豆の収穫には早いな)

小寿郎はせめて黒豆を実家にお土産として持ち帰ろうと地元のJAの販売所に立ち寄った。黒豆を目を皿のようにして探し、見つけた。黒豆の袋を取ってレジに向かおうとしたとき、目の前に二人の女性が立ちふさがった。顔を上げると、見覚えのある女性が「コジサ・・ン」と呟いた。幸恵は美祢と川端の話を聞いているうちに、川端が盛んに「コジ」「コジ」と連発するのを耳にしていた。習い性のごとく、その呼び方は幸恵の脳裏に刻まれていた。

隣の女性が「おねえちゃん・・・」「知っている人?」と驚いている。幸恵の妹は、姉の霧が晴れたような表情を見ていた。幸恵は妹に「コジサンよ」と紹介する。小寿郎には、「妹の和恵です」と紹介する。一緒に店舗内を回り、幸恵は買い物を済ませた。

「カフェはないし、一緒に家に来ませんか」

幸恵に促され、促されるままに、車に乗っていた。悪ガキ感が消えていた小寿郎は借りてきた猫のように大人しかった。和恵は珍しいものを見るかのようにはしゃいだ。

「来週の土曜日、小石川植物園に行きませんか」

簡単なメッセージだった。(リケジョの楽しみ!?)後で分かったことだが、幸恵も東京の会社に勤務していた。

小寿朗は即行で返事した。

約束した土曜日の午前に、小石川植物園の玄関で待ち合わせた。入場すると、植物園の中央近くに大きなイチョウの木がある。幸恵は冷静だ。落ち着いた表情で、植物を観察するかのごとく、見て回る。小寿朗は引き回されるように、初秋の雰囲気の中で漂うように幸恵をフォローして歩く。木々は紅葉が始まったばかりだ。

「ねぇ、見て、見て」

幸恵の珍しいはしゃぎ気味の声に促される。「カルミアよ」

見ると、小さな花が今にも咲ききろうとしている。ちょうど幸恵の背丈に近い。幸恵が小さなカルミアの花を覗きこむ。つられて小寿朗も屈み気味に引き込まれるようにカルミアの花を覗き込む。互いの頬の温もりが伝わってくる。

小寿朗は幸恵に近寄りすぎていたことに気がつく。照れ隠しに小寿朗は空を見上げる。幸恵もつられて空を見上げる。夏が終わり、秋に向かう空は清浄で、澄んでいる。カルミアの木の側で佇む二人の笑顔が周りの風景に溶け込んでいく。

---終わり

エピローグ(内緒)