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ロカ岬(ポルトガル)からカステラ(pão de ló)が来た?

画像:https://goo.gl/maps/SBytHb4sh1wYWUEL6から加工。

ロカ岬はどこにあるか。ポルトガルの南西部(大航海時代の港町)

ポルトガルの北部でカステラの元となった「pão de ló」(スポンジケーキ)が郷土菓子として多く作られていた。

(以下は推測を含む。)

大航海時代に入り、15世紀中頃(室町時代末期;織田信長の父親が苦難の時代、斎藤道三が活躍、足利義昭が京都から追放されて、室町幕府が事実上滅び、安土桃山時代に入る前のこと。

・ロト岬を出港した船:1543(天文 12)年に種子島にポルトガル船(キャラック船 、 カラック船とも)が難破(偽装かも)し、鉄砲が伝来する頃、
・あるいは、1549(天文 18)年にフランシスコ・ザビエルの乗船したジャンク船が鹿児島に上陸した頃、
・乗員百名超と、多くの積み荷の中に、保存食と、砂糖と小麦に多分鳥の+卵(寄港しながら調達も?)があり、日本に着港。

・上陸後、乗員用と、日本人のおもてなしに、料理と菓子などが振る舞われ、関心を示した日本人が料理法を学習する。以降、次第に普及していくが、中でも、スポンジ状のカステラの原型ケーキ「パン・デ・ロー」は、日本でカステラとして普及している。

興味深いことに、スペインにも「ビスコチョ」があり、この頃はカステラに似た菓子がかなり普及していた物と思われる。

当時、焼く技術はあるので、小麦が耕され、卵を利用し、砂糖が入ってくれば、それらを素材とする菓子が作られ、製法が地域内で伝播し、焼き菓子として普及していく。この地域では、小麦や卵の加工技術が進み、膨らます技術が開発されたのではないかと思われる。

小麦粉の使い方は、別の地域でも考え出されている。「パン・デ・ロー」の技術は、小麦粉を練って、平たくし、細かく切る技術などとは異なる。

参考文献
・粟津則雄・山内永・安野眞幸ほか(1995年)『カステラ文化誌全書』、平凡社。