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Football Life

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世界のどこへ行ってもサッカーはあります。こちらではボールを求めて訪れた国でのエピソードをお伝えしようと思います^^
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2021年1月の記事一覧

Football Life vol.114

ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム。 首都プレトリアにあるスタジアムで開場が1923年。2010年のワールドカップの中で最も古いスタジアムでもある。 収容人数が52000人と立派な作りで、1928年に開場したヨハネスブルグのエリスパークと似た雰囲気で当時にタイムスリップしたような感覚に陥った。 古ければ良いものではないけれど、歴史を感じさせる本物のレガシーだと思う。 ちなみにプレトリアは先日、資産が20兆円に達して世界一の富豪となったイーロン・マスクの故郷でもある

Football Life vol.113

ロイヤル・バフォケン・スタジアム。 ヨハネスブルグの北西150kmの街ルステンブルクにあるスタジアム。 デンマーク対日本。互いに1勝1敗の勝ち点3。日本は引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる試合だった。 1ヶ月前に日本を発つとき、日本がここまで来ると想像できた人は少ないと思う。まさに「よもやよもやだ!」の展開だ。 勝てば官軍負ければ賊軍。スポーツは結果がすべて。使い古された言葉だけど改めて再認識した試合でもあった。 ▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△

Football Life vol.112

モーゼス・マヒダ・スタジアム。 インド洋に面した港町ダーバンにあるスタジアム。 実際に行ってみるまでこの街のイメージは「インド」だった。その理由は小学生以下の先入観だけれど、頭に巻く白い布ターバンからきている。で、訪ねてみたらインド系移民が人口の1/4もいて、スタジアム周りにもカレー屋さんが多く、めちゃくちゃ本格的なカレーが食べられる。 本当はカレーか街並みの写真が良かったけれど、治安が良い雰囲気じゃなかったのでカメラを出す勇気がなかったので、深夜の空港で撮った一コマ。

Football Life vol.111

フリーステイト・スタジアム。 南アフリカは首都機能を3つの都市に分散していて、ブルームフォンテーンは司法首都として知られている。そんなブルームフォンテーンは日本人にとって浅からぬ因縁がある。 サッカーファンにとって忘れたくない地だ。2010年6月14日、戦前の予想で圧倒的に不利といわれた日本がワールドカップ初戦を迎え、本田圭佑のゴールでカメルーンから金星をあげたのだから。 そして、往年のラグビーファンにとっても忘れられない地だ。この15年と10日ほど前の1995年6月4

Football Life vol.110

エリス・パーク・スタジアム。 ヨハネスブルグのスタジアムで、映画「インビクタス」の題材となった1995年ラグビーワールドカップ決勝の舞台でもある。 この日、ワールドカップにディエゴ・マラドーナが16年ぶりに帰ってきた。スタンドは神の子をひと目みよういと詰めかけた白と空色のユニフォームで埋め尽くされていた。 ちなみに「インビクタス」はラテン語で「屈服しない」という意味だから、屈服しなかった男が帰ってくる舞台としてこれほど相応しい場所はなかったかも知れない。 ▽△▽△▽△

Football Life vol.109

サッカーシティスタジアム。 ヨハネスブルグにあるスタジアムで2010年のワールドカップではメインスタジアムとして使用された。 その大会で一躍有名になった細長いラッパ「ブブゼラ」は南アの伝統的な楽器で、その形からは想像もできないくらいの爆音が鳴る。 サポーターにも大人気でみんなが吹きすぎて、フランスのテレビ局にはクレームが殺到して、ブブゼラの周波数だけカットする技術に成功したらしい。 開会式に向かう途中、ある少年を見かけた。その手にはブブゼラと大きな国旗が! 身振りで「

Football Life vol.108

ヴァルトシュタディオン。 長谷部誠が所属するアイントラハト・フランクフルトのホームスタジアムで、その名の通りヴァルト=森の中にある。2011年のなでしこジャパンが優勝した女子サッカーワールドカップ決勝の舞台としても知られている。 開場は1925年でもともと陸上競技場だったけれど、2006年のワールドカップで使用されることになって、部分的に取り壊しながら改築された。 設計にはベルリンのオリンピックスタジアムやアリアンツ・アレーナに携わった建築家たちが参加していて、スタジア

Football Life vol.108

スタッド・ドゥ・トゥールビリオン。 スイス南部の山間の街シオンを訪ねたのは2010年6月だった。ワールドカップ南ア大会を間近に控えた日本代表がコートジボアールとテストマッチをおこなったのだ。 このときの代表は揺れに揺れていた。2010年に入ってから歯車が合わなくなったチームは壮行試合の韓国戦で完敗を喫し、激しいブーイングを浴びてしまった。5日前にグラーツで戦ったイングランド戦ではかすかに光が見えたけれど、この試合では手も足もでずに再び肩を落とす結果となった。 このとき1

Football Life vol.106

エスタディオ・ド・ドラゴン。 ポルトガルの名門、FCポルトのホームスタジアムで2004年に開催されたユーロに合わせて新設された新しいスタジアム。僕が訪ねたのは2007年のことだった。 当時は一時代を築いたジダンが引退した直後で、世界的にも世代交代が進んでいたと思う。で、次の主役を探していたら何度もポルトガルにいくことになった。お目当てはクリロナだ。 個人的にこの10年で世界最高のアタッカーは彼だと思っている。どのチームへ行っても結果を残せる個の力は圧倒的だ。この頃の彼は

Football Life vol.105

ビリノ・ポリェ。 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォから北西70kmの街ゼニツァにあるスタジアム。 収容人数15000人くらいの小さなスタジアムで、ワールドカップ予選のプレイオフ第二戦で対戦するボスニア対ポルトガルの取材で訪ねた。初出場がかかるボスニアは初戦をアウェイで0-1で落としていたから2-0で勝たねばならない試合だった。満員のゴール裏は試合前から殺気立っていた。 南アでの日本代表戦のあと多くのメディアが次戦が予定されていた香港へ移動したけれど、僕はあえてこ

Football Life vol.104

ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム。 南アフリカの港町ポートエリザベスにあり、同国の「マディバ(父)」と愛された英雄の名前を冠したスタジアム。 正直に告白するなら「治安、、、大丈夫かな?」と二の足を踏んだ試合だったけれど、この試合で日本代表が新しいユニフォームをお披露目することになっていたから行きたい、、けど怖い、、でもやっぱ行かなきゃってことで人生初の南アフリカを経験。 正確には覚えてないけれど、フランクフルトで乗り換えて入国したと思う。たぶん移動に24時間以上かか

Football Life vol.103

スタディオン・ハルヘンワールト。 スタジアムには選手たちの声やボールを蹴る音、身体がぶつかり合う音が響き渡っていた。これはリモートマッチではない。 2009年9月に実施された日本代表の欧州遠征第二戦がオランダのユトレヒトで開催された。キックオフは水曜日の正午。集客できる要素は少ないが、メインスタンドには地元のサッカー好きや在欧の日本人、ガーナ人が集まり2500人の観客がいた。 この試合はJFA主催で日本の放映権料を意識してのキックオフ時間だったから「うーーん」と思うこと

Football Life vol.102

デ・フロルーシュ・フェステ。 オランダ東部のエンスヘーデに本拠地を構えるトゥエンテのホームスタジアムで、2009年に日本代表がオランダと対戦したスタジアムでもある。 試合前から雲の動きが速くて晴れていたと思ったら、急に雨が降りだすような変な天気だったことをよく覚えている。試合は前半を0-0で折り返したものの、後半、立て続けに2失点して終盤にダメ押しされて、終わってみれば0-3。順当すぎる結果にみんなが肩を落とした。 この試合ではフリーキックを巡り途中出場の本田圭佑と中村

Football Life vol.101

スタッド・ペラック。 トゥーロンから東に15キロにある小さな街イエールにある収容人数1500人程度のスタジアムというには小さすぎるサッカー場。 反町ジャパンの相手は地元フランスで近所の子供たちが若きレ・ブルーの勇姿をひと目みようと集まっていた。 ちなみに作家ステファン・リエジャールがここイエールでこの辺り一帯の風光明媚な海岸を「コート・ダジュール」と名付けたそうな。 この写真は縦位置なのでinstagramもチェック^^ ▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△▽△