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高橋是清邸(江戸東京たてもの園)

大好きな伝統工芸青山スクエア♡すぐ近くには「高橋是清翁記念公園」がある。日本の歴史に名を残す大物政治家・高橋是清。公園は高橋の自邸があった場所。1936年(昭和11)2月26日高橋は、ここで命を落とした(二・二六事件)。高橋邸は移築され、空襲をまぬがれた。その後、東小金井市の「江戸東京たてもの園」に移築された。

江戸東京たてもの園

まずは、高橋是清の若かりし頃を振り返ってみたい。生まれは江戸時代。ものすごいスピードで成長し、日本国のリーダーとなっていったことが分かる。

(0歳)幕府御用絵師の私生児として生まれ、仙台藩の足軽高橋家に里子に出される。

(10歳)横浜に移住。ヘボンの塾等で英語を習得。

(13歳)仙台藩よりアメリカ留学を命じられ、横浜を出発。サンフランシスコからオークランドへ。奴隷売買契約であったと後日知る。

(14歳)明治維新を知り、帰国。森有礼の書生となる。

(17歳)唐津藩英語学校教師として唐津へ。教え子に、辰野金吾

(19歳)森有礼の紹介で文部省通訳となる。

公園となっている赤坂の土地を購入したのが、45歳。日本銀行の副総裁に就任した年。

江戸東京たてもの園にある高橋是清邸内部はこんな感じです。

2階
2階は高橋の書斎や寝室として使われた
1936年(昭和11)の2・26事件の現場となった
一行書「不忘念」
ふもうねん 正法を心に念じて忘れないようにすること
高橋是清/筆(複製)


歴史を身近に感じるため、いつも本を読んだりドラマを見るようにしています。オダギリジョーさん主演のドラマ、高橋是清→ ドラマのご紹介エントリーはこちら


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