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アニヶ咲2期7話、8話で描かれた「夢」と「適性」の話

こんにちは、つついったー。です
今回はニジガクが好きです#2として、アニヶ咲二期7話「夢の記憶」を中心に語ります。
私はこの近辺の話の「夢を追いかける」という行為についての描かれ方が凄く好きなので、私がどう感じているか伝えられたらな、と思います。
トピックは①侑と薫子の比較②栞子の「適性」理論についての二つです。
(特に②の最後の、夢を追いかける恐怖と「TOKIMEKI Runners」については書くときに力が入りました)

※実は7話は栞子回であると同時に、ランジュのメンタルフルボッコ回でもあるのですが、トピックを絞るためにここでは一旦取り上げません。ごめんねランジュ。
※本記事はアニヶ咲の感想なので、スクスタの物語を踏まえると齟齬が生まれる部分がある可能性がありますが、そこはいい感じに流していただけるとありがたいです笑 

それでは、どうぞ。


①侑と薫子の比較

まずは7話の中心人物である栞子についてではなく、彼女の姉である薫子先生と侑の比較について語りたいと思います。

・対照的な二人(髪色)

薫子先生は二期7話、もとい栞子にとっての鍵となる人物ですね。
私は彼女のキャラデザを初めて見たとき「侑ちゃんと何かしらつながりがあるんだろうな」と予想していました。
理由は髪色です。なぜ髪色からそう判断したか?を二つにわけて話します。

一つ目は、侑も薫子先生も黒メインの髪であり、毛先にかけてはっきりとした差し色(緑/赤)がグラデーションがかって使われていること、
二つ目は、その差し色同士(緑/赤)が補色であることです。
※補色とは、色のマッピング方式の代表である色相環上にて反対の位置にある二色をさします。(その二色を混ぜると理論上黒になるそうです)

上図が色相環です。赤と緑が反対の位置にありますね。


私はこれら二人の髪のデザインから、薫子先生は侑にとって重要な位置づけとなるとやんわり予想するのでした

・対照的な二人(夢を追いかける人、夢破れた人)

実際二人の、作品における立ち位置は非常に対照的なものでした。
見出しにも書きましたが、侑は作中において、音楽という夢を追いかけ始めた人、その夢の先が全くの未知数である人であるのに対し、
かたや薫子先生はラブライブ出場という夢を追いかけた先に、願わない結末を迎えた、夢破れた人です。
この二者は、「夢を追いかける」という行為において対照的な人物なのです。

また、夢破れた人として描かれている薫子先生の存在は、侑の物語にとって非常に重要であると私は考えます。
薫子先生の存在は、侑にとって「夢を懸命に追いかけても、自分の思い通りに叶わないこともある」ということを示唆しているのです。
物語の読み手である私たち(少なくとも私)は、夢を追いかける物語をメタ的に、サクセスストーリーとして無意識に捉えて読み進めると思うんです。
実際、侑は音楽という夢を見つけてから、実際に音楽科の転科試験に合格し、自分が作った曲でスクールアイドルフェスティバル(以下SIF)という一大イベントを成功させています。
正直私は無意識に「侑ちゃんはこれから悩みながらも、順調に夢を叶えていくんだろうな」と思っていました。いや、思ってしまっていました。
実際は違うんですよね。侑が夢を追いかける中でどのようなことが起こるか、またどのような顛末を辿るかは誰にもわからない。夢破れてしまう可能性だって普通にあり得るんです。

さて、このような「夢を追いかけ、夢破れることは普通にある」という現実を私たちに突き付けている薫子先生ですが、私たちとは比べ物にならないくらい近い距離で、彼女が夢破れた様を見ていた人物がいますね。
そう、栞子です。彼女は、姉が夢を追いかけた事の顛末を間近で見た結果、自分が持った夢ではなく、あらかじめ自分に備わっている「適性」に沿って動いた方が、人は幸せになれるし、そうすべきであるという「適性」理論を強く持つようになります。
次はこの「適性」理論について語っていきたいと思います。

②栞子の「適性」理論

・「適性」とは何か?
栞子と言えば「適性」と言っていいくらい、この言葉は彼女と結びつきやすいですよね。
ただここまでの流れから「適性=ネガティブな表現」みたいになってますが、実際コーレスにも適性という言葉は使われていますし
必ずしもこの言葉はネガティブなものではないとは思っています。
しかし、少なくとも2期7話時点ではネガティブな表現、夢を追いかける行為に対する否定表現として用いられている部分が大きい気がします。

ただ、私が思うにその否定は「向いていない、結果を出せない人間はその夢を追いかけるべきではない」という他者への否定ではありません。
それよりも、栞子が自身の夢を追いかけることを否定するために用いていると思うのです。
結果を出せない人間は夢を追いかけるべきではない、といった類の否定ではない理由は、栞子のSIFへの関わり方にあります。

栞子はSIFを肯定的に捉えているどころか、SIFにおいてスクールアイドルと文化祭実行委員の調整役という超絶責任者を全うしています。
SIFは、結果を出すことが目的のイベントではありません。それぞれがやりたいことをやる。目的はただこれ一つです。
そして彼女がSIFに向ける目はとても優しい。「向いているかどうか」という判断材料を他人に向けていたら、そんな目はできないと思います。よって、栞子の言う適性は向いていない、結果が出ない人が夢を追いかけることに対する否定ではないと考えます

では、自身が夢を追いかけることへの否定というのはどこから読み取れるのでしょうか。
これについては、私の想像の部分が多くなります。
(以降「向いているか、結果が出るか」という意味での適性が文章内で出てきます。ただ先ほど述べた通り、栞子はそれを判断材料として他者の夢への否定は行わない、という前提は変わりません。)

・自身の憧れへの否定

私が想像するに、栞子は姉がステージで泣いたことに加え、もう一つのことに傷ついたのではないかと考えます。
栞子は「スクールアイドルとしての姉を追いかけた自分を否定された」と感じてしまったのではないか、と思うのです。
先に理由を挙げておくと、栞子が薫子先生に「教師になって、あなたのことを応援できる人になりたいと思っている」と言われたときの彼女の反応からそう思いました。

少し前置きをさせてください。
ここで話を薫子に戻します。薫子はスクールアイドルとしての夢が破れた後、先生の道へ進みます。
私は、薫子は「向いている、結果が出る」という意味で先生への適性があったのではないかと考えています。
理由は薫子の、薫子先生としての現時点でのキャリアです。薫子先生は、海外に留学した後に虹ヶ咲学園の教育実習生として登場します。
ここでミソなのが、薫子先生は虹ヶ咲のOGではないということです。(紫苑女学院OGですね)
ここで、虹ヶ咲学園についての説明を見てみましょう。

東京・お台場にある、自由な校風と専攻の多様さで人気の高校「虹ヶ咲学園」。各分野で活躍する人材が全国から集まることで有名なこの学校に、それぞれの夢や想いを抱いて集まってきた生徒たち。

https://www.lovelive-anime.jp/nijigasaki/about_nijigasaki.php
「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会とは」より

忘れられがちですが虹ヶ咲学園は超有名高校です。そんな高校の教育実習生に、外部の人であるにも関わらず選ばれるということは、薫子先生は先生としての能力がかなり評価されているのではないでしょうか。
国内ではなく海外で教師について学び、教育実習生として日本屈指の有名校の教壇に立つ…
もちろん努力や困難あってこそだとは思いますが、少なくとも外からは教師として華々しい道を歩んでいるように見えます。
そして、その外には栞子も含まれます

さて、前置きが長くなりました。話を表題の、自身の憧れへの否定へと移します。
姉、薫子はスクールアイドルとしての夢が破れ、教師を目指すために海外へと発ちました。栞子からすると、スクールアイドルとして自分を勇気づけてくれた姉が、見えない遠くへ行ってしまったことになります。
そして栞子には薫子のスクールアイドルとしての努力は見えていますが、先生としての努力は見えていません。(海外にいるので)
ここから栞子の中で、たくさんの努力ををしてもなお傷ついてしまったスクールアイドルとしての姉と、自身の知らないところで周囲に認められている先生としての姉の対比が生まれます。
(ここから夢や憧れ=トキメキといった直感ではなく、「向いているか、結果が出るか」という適性が重要、という考えが生まれたんだと思います。)

そして彼女が憧れ、彼女に勇気を与えた存在はスクールアイドルとしての薫子です。
栞子はここから、自分に勇気を与えてくれた姉が遠い存在となってしまったように感じたのではないか、と思うのです。
(薫子と久々にあった栞子は、幼少期と打って変わって薫子への態度が冷たいものになっているのもこのせいではないか、と考えています。)
また、そのことから結果がでなかったスクールアイドルとしての姉に対して持った、自身のトキメキが否定されたように感じたのではないかと思うのです。そこから、トキメキという直感で動いてはいけない。そうして追いかける夢は破れ、後悔することになる。後悔するくらいなら向いていることだけをしようと思うようになったのではないでしょうか。
(適性の「向いているか、結果が出るか」という意味合いが「自身が夢を追いかけることへの否定」としての意味を持つようになった瞬間です)
しかし、栞子の「姉が遠い存在になった」という感覚は、姉の一言により、自身の勘違いだったことに気づくのです。

・姉は変わっていなかった

私は先ほど栞子が「スクールアイドルとしての姉を追いかけた自分を否定された」と感じた理由について、
栞子の、薫子先生に「教師になって、あなたのことを応援できる人になりたいと思っている」と言われたときの反応を挙げました。
このとき栞子は、目を見開いて驚いた表情を浮かべます。私はこれを、彼女の「姉が遠い存在になった」という感覚が勘違いだったことに気づいたことによるものと考えます。
そう、姉は変わっていなかったのです。先生としての姉は、スクールアイドルとしての姉の時から変わらす、自分を励ましてくれる存在だったのです。

そして薫子はその前に「栞子が応援してくれたから幸せな高校生活を送ることができた」と言います。
私はこれら二つの薫子の言葉に、栞子はめちゃめちゃ救われたんじゃないかなと思います。
自分の憧れという気持ちがあったからこそ今の姉がある、自分のトキメキという気持ちは決して間違ったものではなかったのだと、ここで初めて思えたのではないでしょうか。
そして歩夢の「お姉さんのステージからたくさんの幸せを貰ったはず」という言葉により、自分が目を背けていた自分の気持ちに向き合い直すのです。
(ここで1期でたくさん迷った歩夢が背中を押すのも良い…)
その上で臨むステージ曲が「EMOTION」…素晴らしすぎますね。
ここで一つ、これらを踏まえて私の、EMOTIONの歌詞解釈を載せておきます。

あなたに届け EMOTION

https://www.uta-net.com/song/320613/

私はここで言う「あなた」とは昔の自分、トキメキという感情に蓋をしてしまった栞子自身を指すのではないかと考えています。
7話のラストシーンを繰り返し観るうちに、栞子が「あなたは間違っていないよ。自分のトキメキを素直に受け入れて、進んでいいんだよ」とステージから昔の自分へ語りかけているように見えるようになりました。
(ちなみにですが「あなた」という歌詞が歌われる直前に、幼少期の泣いている栞子が映し出されます)

【限定公開】EMOTION / 三船栞子(CV.小泉萌香)【『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』TVアニメ2期 第7話ダンスシーン映像】より

そして、前に進み始めた栞子の背中をさらに押した曲がある、と私は考えています。8話挿入歌「TOMIMEKI Runners」です。

・夢を追いかける恐怖と「TOKIMEKI Runners」

これは事実というより私の考えなのですが、前に進み始めたからといってこれまで抱えてきた迷いが消えることはないはずです。
果林先輩の「やりたい気持ちがあるということも適性」という言葉から、新たな適性の考え方を貰った栞子ですが、
彼女の根幹にあった、自身が夢を追いかけることへの否定としての「適性」は、このときまだ心のどこかに残っていると思うんです。
「スクールアイドルがもし自分に向いていなかったら」「本当に夢を追いかけていいのか」
幼いころから持っていたネガティブな気持ちは、そう簡単に捨てることはできないと思います。
これは、夢を追いかける恐怖、とも言えるでしょう。(そしてこの恐怖は栞子だけではなく、誰しもが持つものだと思います。)

私は、この恐怖へのアンサーがTOMIMEKI Runnersのステージだと思っています。

きっと夢だと決めてしまえ ああっ勇気が湧いてきた!

https://www.uta-net.com/song/258987/

そう、夢は既に自分に備わっているものではなく、自分で決めるものなんです。「向いていなかったら」「本当に夢を追いかけていいのか」
そう思いながらも、決めるしかない…自分の夢を決められるのは、自分しかいないんです。

出会いって それだけで奇跡と思うんだよ

https://www.uta-net.com/song/258987/

栞子は、姉を通じてスクールアイドルという憧れ、トキメキに出会いました。
もう、既にこれが奇跡なんです。出会いがあったからこそ、悩めるし、前へ進めるんです。
栞子は、きっとこのステージから、大きな勇気を貰ったはずです。(実際栞子はこのステージを観て感極まってましたね…いいシーンです)

そしてこの曲が侑から生まれたという事実だけでクるものがあります。
きっと侑も、夢を追いかける恐怖と戦いながらこの曲を作ったのだと思います。
事実、この曲はなかなか完成しませんでした。完成させられないというイメージだって何度も侑の頭の中をよぎったはずです。
「向いていなかったら」といった恐怖と、侑も戦っていたはずです。

そしてこの曲は侑が「今、ここにいる’私’を伝えたい」という気持ちで書いた曲です。(ここ「同好会の皆のことを考えて」ではないのが本当にアツい。侑は表現者としての一歩を踏み出したのです。)
「きっと夢だと決めてしまえ」という一文は、夢に立ち向かう自分を鼓舞するために書いたものだと思っています。
そんな、夢を追いかける恐怖に立ち向かう侑から生まれた曲だからこそ、栞子の背中を押せたのだと思います。
こうして栞子は、自身が夢を追いかけることへの否定としての「適性」から解放されたのだと思います。

おわりに

めちゃめちゃ長くなりました。
というのも、本記事で書かせていただいた命題は本当に難しいんです。
「向いていないかもしてない夢に、どう立ち向かうか」
これは誰しもが持つ悩みかつ、簡単に解決できるものではありません。
(私だって悩んでます)
ただ、だからこそ「刺さる」
虹ヶ咲はこの命題をシビアに、かつ爽やかに描いています。
これら一連のエビソードは、栞子のみならず、この話を観た誰しもが心を動かされたのではないでしょうか。

今回はこんな感じで締めたいと思います。
敢えて次回予告的なものをしておくと、#3では私がニジガクにハマるきっかけとなったしずく、モノクロームについて書けたらなと思っています。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
それでは、また。

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