見出し画像

県下一周駅伝への思い -中村直幸さん-

対馬トラッククラブ編集部です。
対馬トラッククラブは対馬で頑張る陸上選手を応援しております!今回は県下一周駅伝で壮年部に出場される中村直幸さんにインタビューしました。

白嶽の頂上での中村さん

母親が走ることに毎日付き合ってくれた
中村さんが走り始めたきっかけは、小学3年生の時に校長先生から”君はマラソンの練習をした方がいい”と担任の先生を通じて言われたことがきっかけだったそうです。

「家に帰って母親に伝えたら、母親の方がやる気になってしまいました。笑
それから小学3年生から6年生までの4年間、ほぼ毎日通学の約2キロを自転車で母親が僕が走るのを引っ張ってくれました。走ることを始められたのは母親のおかげです。」
と陸上に触れるきっかけを話してくれました。

距離を短くから距離を長くへ

中学生では陸上部に入り1500mと3000mを中心に取り組んでいた中村さんですが、ラストスパートも得意だったこともあり、高校では800mに挑戦することになります。しかし、高校2年生の時、学校で遊びでやった400mハードルのタイムトライアルでその年の北海道3番目相当の記録が出て「400mハードルの方がインターハイに行けるかもしれない。」と思い、400mハードルに取り組み見事インターハイ出場の夢を叶えられました。

学生時代400mハードルに取り組む中村さん

社会人になってからは、自衛隊の長距離チームの監督から声をかけられたことをきっかけに再び走り始め、短くしていった競技種目の距離をまた徐々に伸ばしていくことになったそうです。

対馬来て三たび走り始めた

中学生から本格的に陸上を始めた中村さんはこれまで2度走ることを辞めてしまいました。

自衛隊チームの仲間

1度目は27歳の時に自衛隊の訓練中に腰椎を圧迫骨折してしまい、1ヶ月寝たきりの入院生活、その後1年間は運動禁止で2年間はリハビリ生活を送られた時でした。2度目は40歳で一番の目標にしていた自衛隊の全国大会が西日本豪雨の影響で大会が中止になってしまった時でした。中村さんは走ることのモチベーションを失ってしまいます。

しかし、42歳で転勤で訪れたこの対馬の県下一周駅伝の存在で中村さんは三たび走り始めることになります。

「私にとって県下一周駅伝は富士登山駅伝と並ぶくらい大事にしている楽しみな大会です。北海道と九州では全く文化は違うけれど、私の地元根室と対馬は同じ国境の街だし、郷土愛が強いところが似ていて身近に感じています。そんな対馬を盛り上げることに協力したいとも思っています。」地元である根室市に思いを重ね合わせるように語ってくださいました。

富士登山駅伝

県下一周駅伝に向けて

「1回目はコロナで中止になり、2回目は仕事の都合で辞退をして、3回目で念願かなって出れるので、区間賞を目指して最後まで走り切りたいです。また北海道にいる中学2年生の息子と同じくらいの世代の対馬の中学生と襷をつなげることが嬉しいです。年甲斐もなくがむしゃらに走ってきたいと思います。」

チームメイトの阿比留和弘さんとのツーショット

対馬に来たことがきっかけで走ることへの挑戦を三たび始めた中村直幸さん。

対馬を代表して走るランナーたちの最高の舞台になるように応援していただけると嬉しいです。

中村 直幸(なかむら なおゆき)
専門種目は1500mからマラソン
1979年8月3日生まれ、北海道根室市出身
成央小学校-光洋中学校-根室高校-自衛隊
趣味はドライブ。好きなスポーツ選手は為末大さん。
よく走るランニングコースは厳原の”曲”。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?