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今、この流れの中で感じていること

今、わたし、けっこうな停滞期にあります。
コロナによる自粛ムードのせいで活動に制限がかかっているとか、コロナ関連でダメージを食らっているとか、そういうわけではなくて、ただ、立ち止まって自分の中で整理してから動きたい気分。
自分の中で「これだ」とぴったりハマるものを探していて、そのために、いつもより内にこもる時間を多めに必要としている。

周りの人たちのスピードが速いのと、友人たちが暴れ始めた(いい意味でね)こともあって、「私も何かしたい」って焦ってたんだけど、やっぱりわたしはのんびり行きたいや。

のんびり進むことを考えると、生み出せるものの総量が少なくなって、結果的に残せるものが減ってしまう気がして不安になる。それだけ、はやく、たくさん、が良しとされる世界に浸っていたってことかな。

はやく、たくさん、の世界は刺激的で楽しい。だから、また、そっちに戻ることもあると思う。
でも、今は、のんびりに移行するタイミングな気がしてる。わたし個人の話ね。

後日、どこかにまとめるつもりだけど、今って、これまでの自分をふり返って、ずれを調整していくことが重要なキーワードだと思うんだよね。これまでだって、わたし個人はそういう流れの中にいたわけだけど、社会全体に目を向けたらそうでない人たちの方が圧倒的に多い。
そういう人たちも、いよいよこれまで通りの生き方から抜け出す時期に入ったんだと思う。今回の騒動で精神的なダメージを受けている人たちね。

一方、わたしを含むダメージを受けていない人たち、多少なんやかんやあっても心の中は穏やかな人たちは、たぶんこれまで『わたし本来の生き方とは』についてじっくり向き合ってきた人たちだと思うんだけど、そっちはそっちでより細かくずれを調整していく時期なんじゃないかと思う。
影響が少ないから調整を先送りにしてきた部分に取り組むタイミングなんじゃないかなって。

そのためには、外側から入れた情報をいったん落として(※ここ重要)、自分の内側から浮かび上ってくる思い、個として純粋に感じていることを大切にしていくこと。

わたしの場合、浮かんできたうちのひとつが『のんびりしていたい』だった。世界が自粛モードに入ったことで、世の中がこれまでと比べてゆっくりのペースになったなと感じていて。わたし個人としては、それが心地よいのです。

無意識のうちに、周りのペースに合わせていないと貧しくなるような、価値を生み出し続けないとお金が回らなくなるような気がしてた。価値の基準は自分の中にあるから、苦しいというほどのことではないんだけど、立ち止まっている時の「いまこうしている間に資金を無駄にしている」という感覚に違和感を覚えてた。

なんで、ゆっくり立ち止まっちゃいけないの?

お金がない世界を求めているわけではなくて、のんびりしている時もコンスタントに何かを生み出している時も、変わらず豊かでいられる世界がいいなって。
これまでにも、なるべくそこに意識を合わせるようにしてたんだけど、腑に落ちてなかったんだろうね。立ち止まっている時間が長くなってくると「いくらなんでもヤバイ気がする」と謎の焦りが出てきてた。

そこを乗り越えて、自分の中にあるリズムに合わせて生きる方向に切り替えていくんじゃないかなって気がしてる。
たとえば、発信ひとつを取っても、『これを何らかの形で共有することで価値に変えていかなくては』とか考えずに、みんなに見せたくなったら発信して、そうでない時は何もしない。
二つ前のnoteで原点回帰の話をしたけど、今回も、別方向で「余白」としての生き方を極めていくということなのかもしれない。

これまでのわたしにとってそれは『あり得ないこと』だったけど、これを書きながら、そういうのが当たり前になっていくんじゃないかという予感がしてる。

コロナウイルスがものすごい勢いで広まりつつある今って、たぶん、多くの人がそれまで心のどこかで「あり得ない」と思い込んでいた世界だと思う。
そんなあり得ないことが起こっている今だからこそ、これまであり得ないと思っていたことに対してリアリティを感じやすくなってるんじゃないかな。
現実と虚構との境界線が曖昧になっていることを、存分に生かしていこう。


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