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洋楽ポップスの風景(その二)


~~ Genesis : Land of Confusion ~~

「ジェネシス」は、イギリスのロック・バンドである。1969年に始まる結成時からすると、今日に至るまで、非常に長い寿命を生き抜いている稀有なバンドと言える。メンバーの入れ替わり、音楽の特徴の変遷など、時代の流れの中で、絶えず、自分達の音楽の在り方を追求してきたバンドであることが分かる。バンドメンバーの中心人物はフィル・コリンズであるが、彼は独立して「フィル・コリンズ」として活躍をするようになってからも、大成功を掴んでいる。「ジェネシス」も「フィル・コリンズ」も旺盛な生命力を有している。

ジェネシスの「ランド・オブ・コンフュージョン」は混迷の地という意味であるが、それはまさに人類が暮らしているこの地球、この大地のことである。1986年に世に出たこの曲は、大きな反響を浴び、戦争の止まない時代相を鋭くプロテストする曲として、人々の心を捉えた。ただ、戦争の大地と化した地球の姿を嘆くだけでなく、この世界を自分たちの手で変えようと訴えるところにジェネシスの真骨頂がある。

This is the world we live in. And these are the hands we’ve given. Use them and let’s start trying to make it a place worth living in. ここがわれわれの住む世界だ。神が与えたこの両手で、住むに値する意味のある場所にこの世界を変えていこうではないか。このメッセージの中に平和を愛するジェネシスの魂がある。素敵な曲だと思う。


~~ Pink Floyd : Another Brick in The Wall ~~

ぼくは、ピンク・フロイドの「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」を聴くたびに、強烈な衝撃に襲われた。今もそうである。現代文明の破局が、この曲の中で炸裂するのを感じてしまうのである。戦慄と言ってよいかもしれない。この曲が発表されたのは、1979年である。どこの国であれ、いつの時代であれ、教育は必要である。教育は要らないという人はいないだろう。しかし、その教育がいかなるものであるか、それを問うているのがこの曲である。

痛烈な社会批判が、もともと、特徴的である「ピンク・フロイド」の音楽が、子供たちの教育について、警告を発する。子供の教育に思想統制や陰湿ないじめなどが混じっていないか、壁の中に壁を作るような閉塞的な教育があるのではないか、現代文明は子供たちに対する教育の間違いによって、滅亡に向かうのではないか、そういう警告をこれでもかこれでもかと言うように畳みかける実に重たいロックの調べが、この「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」なのである。

ピンク・フロイドは、プログレッシブ・ロックというジャンルを開いた先駆者であるが、その業績は“レジェンド”級の扱いを受けている。個性の強いメンバーたちが集まって結成したロック・バンドであるゆえ、音楽の方向性や社会に向かう哲学などの相違から、メンバーの一体化は難しかった。特に、デヴィッド・ギルモア(ボーカル/ギター)とロジャー・ウォーターズ(ボーカル/ベース)の相克、葛藤は大きく、彼らの音楽の在り方を揺さぶった。それでも、ピンク・フロイドのロックは現在も聴く者の心を打ち、輝きを失わない。


~~ Backstreet Boys : I Want It That Way ~~

バックストリートボーイズは、1993年に結成されたアメリカの5人組である。1999年に発売されたアルバム「ミレニアム」を機に、爆発的な人気を得て、2000年代初頭、堂々たるスーパースターの座に駆け上った。現在も、健在であり、活躍を続けている。日本にもたびたびツアーに来ていて、ファンも非常に多い。アルバム「ミレニアム」の中の大ヒット曲が「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」であり、この曲のヒットで、彼らはスターダムにのし上がったと言ってもよいくらいだ。

バックストリートボーイズの音楽は、非常に聴きやすい。メロディーラインがしっかりとしているからだろうが、彼らの曲にはスイートな味わいがある。5人のコーラスが何とも言えない。青春の愛と悲しみと苦悩があり、甘いリリシズムが流れている。どのアルバムもよいが、とりわけ、「ミレニアム」にある「アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ」「ショウ・ミー・ザ・ミーニング・オブ・ビーイング ロンリー」「ラージャー・ザン・ライフ」などはよく出来ており、聴いていて気持ちがよい。

フロリダを本拠地において活動を展開した経歴からも分かるように、アングロサクソン系、ラテン系、黒人系、さまざまな背景を背負ったメンバーたちが一緒になって、世界中の若者たちを酔わせる音楽を歌い上げた。5人組に心からのエールを送りたい。その成功もマックス・マーチンらの作詞・作曲の能力軍団があってこそのものであったと言える。いわゆる、ポップスという言葉の本来的な意味において、バックストリートボーイズは、世界的な成功を勝ち取ったのだ。彼らのこういう曲を聴いていると、聴いて楽しんでいる自分が不思議にも青春の気分に戻れるという効能に預かることができるのを発見し、密かに喜んでいる。


~~ ABBA : Gimme! Gimme! Gimme! ~~

スウェーデンの男女の4人組と言えば、誰でもそれは「アバ」であると答えることができる。そのアバが世界中にヒットさせた曲が、優雅な雰囲気を漂わせた「ダンシング・クイーン」であるが、それと肩を並べるご機嫌なリズム主導の曲が「ギミ!ギミ!ギミ!」であることに、多分、異論はないだろう。この曲はディスコの定番中の定番であり、1979年に登場したこの曲で踊らなかった若者は、当時、誰もいなかったので、アバの「ギミ!ギミ!ギミ!」は、ディスコの代名詞となっていた。

なぜ、彼らはABBAなのかを探ってみると、4人の名前から来ている。A=アグネッタ(女)、B=ビョルン(男)、B=ベニー(男)、A=アンネフリーダ(女)となる。ついでに言うと、アグネッタとビョルン、アンネフリーダとベニーは、それぞれ夫婦である。ずっと夫婦であってほしかったのだが、アグネッタは1979年、アンネフリーダは1981年、それぞれ離婚した。音楽活動など、芸術に携わる人は普通の人たちの結婚と違って、夫婦関係が難しくなるというジンクスでもあるのだろうか。いろいろな事情があるのであろう。

ABBAの曲には、いわゆる、ポップスとダンス向けの曲の二つの流れが混ざっていて、どちらも多くのヒット曲、名曲を含んでいる。「チキチータ」、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」、「ノウイング・ミー、ノウイング・ユー」、「ザ・ネーム・オブ・ザ・ゲーム」、「フェルナンド」などの秀逸なポップスがある一方、「ダンシング・クイーン」、「ギミ!ギミ!ギミ!」「ヴーレ・ヴ―」、「SOS」、「ママ・ミア」、などの踊れる名曲がある。ぼくはどちらの流れも好きで、よく聴いている。


~~ Ricky Martin : The Cup of Life ~~

プエルトリコ出身のリッキー・マ―ティンは、1998年のフランスワールドカップにおいて、テーマ曲を歌った。「ゴー!ゴー!ゴー!アレ!アレ!アレ!」というあれである。興奮状態にある観衆をさらに興奮の高みへと導くあの超元気な歌を歌ったのが、リッキー・マーティンである。興奮の大好きな中南米人がワールドカップを盛り上げるには一番である。中南米人は、人生を興奮するために生れてきた。一方、日本人は、人生を働くために生れてきた。

リッキー・マーティンのワールドカップテーマ曲だけでも興奮と盛り上がりを作り出すのには十分であるが、少し興奮が足りないと見たのか、ワールドカップの翌年の1999年、彼はさらに興奮するための曲を発表した。それが「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」である。

この曲を、彼が足腰を激しく揺さぶりながら歌うステージなどを見ていると、頑強な体から発散されるエネルギーがステージと観客の会場へまきちらされて、人々は失神寸前の状態へと追い込まれる。興奮創造型人間としての南米人、厳密に言えば、プエルトリコ人のリッキー・マーティンを、ぼくにはそれ(興奮創造)ができないので、尊敬することにする。


~~ The Dooleys : Body Language ~~

アバやノーランズ、アラベスクなどのようにミュージックシーンを飾ることのなかった、少し残念なグループ、と言っても、ドゥーリー家の兄弟姉妹6人が総出で、ステージを飾った家族シンガー・グループが「ドゥーリーズ」である。彼らの大ヒットは、「ウォンテッド」であり、この曲の人気は、オリコン洋楽シングルチャートで10週連続の1位を獲得したことであった。そして、彼らの「ボディ・ランゲージ」は1980年の東京音楽祭で金賞に輝いた曲であり、ドゥーリーズファンは、日本において少なくなかったし、人気も高かった。

何よりも、ドゥーリーズの曲を聴けば分かるが、楽しく明るい曲調で満たされていて、気持ちがいい。何しろ、兄弟姉妹が心を合わせて、一つになって、ステージを盛り上げ、観客を楽しませている姿には、家族的な温かさが感じられ、幸せな気分になる。

1970年代と80年代の日本、特に、1978年あたりから1985年ごろまでの日本は、日本の歴史上において、異常なほどに右肩上がりする経済の好景気が列島を覆っていた。稀に見る経済黄金期の時代、その時代に合わせて、世界のポップシーンを飾るミュージシャンたちが、大挙して日本に押し寄せていた。日本の好景気を祝福するかのように、彼らは日本ツアーを挙行した。踊れるディスコ・ミュージックは、まさに日本を応援するのにピッタリの応援歌だったのである。ドゥーリーズも日本のファンたちの歓迎を心から喜んだはずである。


~~LocoMia : Rumba, Samba, Mambo~~

ロコミアは、1980年代のスペインにおいて、一世を風靡したポップグループである。1970年代のパンクロックの流行のあとに、一つのジャンルとして括れない音楽の形態が現れ、それらの音楽を、一応、「ニューウェイブ」と称するようになったが、まさに、英国でのそのような流れに影響を受けて、スペインのポップ界を騒がせたのが、「ロコミア」である。「ルンバ、サンバ、マンボ」はロコミアの代表的な曲であり、彼らのショーでは、必ず、歌われるテーマソングのようなものであった。

4人のメンバーが、両手に大きな扇をもって、華麗に舞い、まるでかつてのスペイン宮廷の貴族たちが身にまとう出で立ちで、「オー、ホワ、ホワ、オー、ホワ、ホワ」と囃し立て、舞い踊り歌う姿は、当時の世界のポップシーンにおいては珍しい、スペイン風のエンタテインメントであった。今でも、ユーチューブなどで、簡単に検索できるが、現在、見ても、瑞々しい感覚で彼らの歌と踊りを視聴できる。

どこからどこまで、どう聴いても、ロコミアはラテン音楽の特徴を備えた音楽のグループとしか言いようがないが、曲名が「ルンバ、サンバ、マンボ」と言うだけあって、ルンバの響き、サンバの響き、マンボの響き、すべてラテンをお届けすることを使命とする、それがロコミアだ。彼らのグループ名をそのまま曲にしたイポニマス・チュ―ンの「ロコミア」という曲が、彼らの最初の曲であった。これもなかなかいい。ぼくはロコミアなる音楽グループをこよなく愛する。

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