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洋楽ポップスの風景(その三)


~~ Billy Joel : The Stranger ~~

アメリカのシンガーソングライター、ビリー・ジョエルは、歌手、作曲家、ピアニストを兼ねるミュージシャンであり、多くのヒット曲を放ってきた。1973年の「ピアノマン」を本格デビューにして、1977年のアルバム『ストレンジャー』で爆発的な人気を獲得するが、このアルバムの中から「ストレンジャー」「素顔のままで」などが大人気となった。「ストレンジャー」の最初の部分の約1分と最後の部分の約50秒にビリー・ジョエルのピアノ独奏が入り、口笛が入るという構成で、真ん中の約3分が軽快なリズムのポップである。

ストレンジャーは見知らぬ人と言う意味であるが、そういう得体の知れない人、つまり、別の顔に自分自身が成りすましていることはないだろうかという歌だ。本当の自分、見たままの自分を知られることを恐れ、別の顔になる。そのようなことをする必要は全くないと言っているようであり、また、別の顔でもいっこう構わないよと言っているようでもある。こういう詩を作るビリー・ジョエルは自分のアイデンティティで、結構苦しんできたのだと思う。

彼はよく鬱病になり、入退院を繰り返すことがあった。精神的に過敏なのだ。多分、ユダヤ人であることも関係しているのかもしれない。父のハワード・ジョエル(ドイツ系)、母のロザリンド・ハイマン(英国)もともにユダヤ系である。「ストレンジャー」にせよ、「素顔のままで」にせよ、「オネスティ」にせよ、歌詞のテーマがアイデンティティに関わる意味深長な言葉であるのを見ると、内面の葛藤とそれを押し返そうとする気迫の勝負が、彼の中にいつも存在するのを見てしまうのである。


~~ Cutting Crew : I’m just died in your arms ~~

カッティング・クルーの「アイム・ジャスト・ダイド・イン・ユア・アームズ」というロックは、正直言って、至宝の名曲である。「アイム・ジャスト・ダイド・イン・ユア・アームズ」というタイトルの言葉が繰り返し、歌い上げられるが、リード・ヴォーカルのニック・ヴァン・イードの歌唱がどこまでも美しく、激しい愛の高揚感に溢れている。愛を「ジャスト・ダイド=just died、死ぬほどに」と表現する力は、まさに愛の本質を衝いたものであろう。死と引き換えにできるほどに愛の力は強いのである。愛は死よりも強し!

この曲は、「愛に抱かれた夜」という邦題で、1986年にリリースされ、大ヒットとなったが、欧米のヒットチャートで1位を占めたのは当然であると言える。非常に、インパクトの強い曲である。日本のリスナーたちも、少なからず、この曲に惹きつけられた。カッティング・クルーは、10名前後の大所帯でやっているので、メンバーたちは賑やかにやっているように見える。やはり、ニックの存在感が強く、彼が、グループを率いている印象があるが、実際、その通りだと思う。

1980年代は、ロックの名曲が多い。例えば、ボン・ジョヴィの「Livin’ On A Prayer」、ポリスの「Every Breath You Take」、ジャーニーの「Open Arms」、ダイア・ストレイツの「Walk of Life」、ホワイトスネイクの「Is This Love」など、ハードなものやソフトなものなど、いくつも思い出されるのであるが、その中で、カッティング・クルーの「愛に抱かれた夜」は、音の構成から歌唱の上手さにおいて、光り輝くものがあった。これだけは確かに言えることだと思う。


~~ Chris De Burgh : Lady In Red ~~

クリス・デ・バーは、ぼくにとって、非常に惹きつけられるものを持っているシンガーである。鳴かず飛ばずの70年代を越えて、80年代に入ってから「レディ・イン・レッド」の大ブレイクを引っさげて、音楽シーンを飾った。1986年、「レディ・イン・レッド」の曲に触れたぼくは、その美しさに打たれ、クリスの呪縛にかかった。まず、彼の声がいい。メロディも抜群だ。その歌唱には情感が十分に籠っている。この曲から伝わる何とも言えない彼の「貴族性」を感じた。これが、「レディ・イン・レッド」に出会ったときのぼくの印象だ。

彼の父はイギリスの外交官で、母はイギリス王室の流れをくむアイルランド人である。これで謎が解けた。彼の音楽「レディ・イン・レッド」に流れる高貴な気品、ぼくが「貴族性」と感じたのは、その家系にあったのだ。父の仕事の関係からだと思うが、彼はアルゼンチンで生まれている。マルタやナイジェリア、ザイールで子供時代を過ごし、最後は、母の国であるアイルランドに落ち着いた。

彼の「レディ・イン・レッド」とは少し違うやや激しいロックを、「ドント・ペイ・ザ・フェリーマン」の中に見るが、これも聴いていて心地よい。均整の取れたロックだ。つぃでに言っておくと、娘のロザンナ・デ―ビソンは、ミス・ワールド2003で優勝して話題になった。「ア・スペースマン・ケイム・トラベリング」(1986年)は、その美しい音楽性において、ほぼ聖歌と言ってよいほどの宗教曲である。いわば、平和への祈りそのものだ。


~~ Ace of Base : Happy Nation ~~

アバのあと、スウェーデンは誰が出てくるのかと思っていたら、エイス・オブ・ベイスが登場し、その力量を発揮した。アバもエイス・オブ・べイスも女性二人、男性二人で構成は同じであり、ダンスが踊れる曲ということでは共通だが、エイス・オブ・べイスの方は、レゲエ調のテクノポップで、イエニーとリンの姉妹の声は北欧の澄み切ったクリスタルトーンで、音楽はラテンの乗りレゲエ調となっている。1993年に、「オール・ザット・シー・ウォンツ」と「ハッピー・ネイション」がヒットして、グループの存在が世界に知れ渡った。

エイス・オブ・べイスの「ハッピー・ネイション」は、一人の男の理想である幸せな国について述べている。A manもしくはmanという表現でしか語られていないが、このmanは、実は、イエス・キリストのことである。イエスの理想の下で、人々は幸せに暮らすというのだ。それを示すのが、「dream of perfect man」、「sweet salvation for the people」、「the good for mankind brotherhood」などの歌詞である。この歌詞から連想されるのは、キリスト教の中心人物であるイエスであり、イエスが描いた人類の理想の国であることは明白である。

エイス・オブ・べイスの内省する精神性は、「ザ・サイン」の歌詞にも感じられる。Signには、兆候、前兆、お告げなどの意味があり、聖書にもよく出てくる言葉である。アバで感じられた陽的な明るさに対して、エイス・オブ・べイスの音楽から感じられる一種のメランリックな響きは内向する精神の働きを示す。結局、アバの陽性ポップ、エイス・オブ・べイスの陰性ポップという大まかな傾向を語ることができるように思う。これが、ぼくの「エイス・オブ・べイス」の音楽に対する感じ方である。


~~ France Gall : Ella, elle l’a ~~

パリ生まれのフランス・ギャルが、1987年に出した「エラ・エル・ラ」という歌は、一体どんな歌なのか。ここでいう「エラ」とは、実は、アメリカのジャズシンガー、「エラ・フィッツジェラルド」のことを指している。フランス語で、エラは「She has it」(彼女はそれを持っている=彼女には他の人にはない何かがある)という意味である。フランス・ギャルが歌ったこの歌は、エラ・フィッツジェラルドをほめたたえる歌だったのである。

この歌は、ベルギーのケイト・ライアンが少しアップテンポにしてユーロ・ビートのダンス曲として欧州全体に広めた歌としても有名になったが、原曲のフランス・ギャルの歌は、ダンス曲にもなり得るのではあるが、やはり黒人歌手のエラ・フィッツジェラルドを賛美する色彩が強く、人種差別撤廃へのアピールを強く感じる。フランス・ギャルは、さまざまな人道支援にも多く関わり、非常に人類の平等性をアピールしていた。「夢見るシャンソン人形」などのデビュー当時の歌には感じられない人道主義的一面があったのだ。

この歌の一部の訳を紹介する。「エラ、彼女は持っている。何だかわからないけれど、他の誰にもないものよ。私たちを酔わせる何か、エラ、彼女は持っている。この不思議な声、不思議な喜び、彼女に美を授けたその神の恵み、エラ、あなたにはそれがある」。こうして、エラを称えたフランス・ギャルであるが、残念ながら、2018年、70歳で、あの世に旅立った。ケイト・ライアンのリメイク版のダンスビートで、エラ・フィッツジェラルドとフランス・ギャルが、もしかしたら、あの世で一緒に踊っているかもしれない。


~~ Procol Harum : A whiter Shade of Pale ~~

1967年に結成された英国のロックバンド「プロコルハルム」が放った「ア・ホワイター・シェイド・オブ・ペイル」は、実に美しいメロディであり、彼らの歌唱は、時を超え、永遠の輝きを失わない。バンド名のプロコルハルムは、あまり聞かない言葉だが、ラテン語であり、「Beyond these things」(こうした物を越えて)という意味である。尚、歌の題名は、日本では「青い影」と訳された。彼らの音楽は、ゲイリー・ブルッカーのクラシック志向に影響されていて、その音作りはピアノやオルガンが奏でるクラシック性を強く感じる。

ロックとクラシックの融合は、そのコンセプトとして1960年代の後半あたりから本格化し、ムーディー・ブルース、ピンク・フロイド、ディープ・パープルなど、有名なバンドが誕生していた。その中に、プロコルハルㇺがいたことを忘れることができない。英国は、シンフォニックロック、プログレッシブロックの発祥地である。「青い影」は、一人の女性が男から離れていく失恋の歌であるが、その様を「段々白くなっていく青い影」と表現した詩の力には脱帽する。

プロコルハルムを主宰してきたゲイリー・ブルッカーが、2022年2月に、76歳の生涯を閉じた。筋を曲げず、信念に生きた彼の音楽的な功績を見直す風潮が高まっている。いいことだと思う。それにしても、「青い影」は、何といい調べなのだろうとつくづく感嘆しながら聴き入ってしまう。ゲイリーの芸術性は称賛に値する。


~~ Engelbert Humperdinck : Love Me With All of Your Heart ~~

エンゲルベルト・フンパーディンクはイギリスのイージーリスニングを主とするポップ歌手である。このややこしい名前はどうにかしてくれ、と言いたいが、ドイツの作曲家で、1854-1921に実在した人物の名前をそっくり借用したということである。フンパーディンクはバラードヴォーカルの帝王などと称され、彼が高らかに愛を歌い上げるとき、世界の女性たちは悲鳴を上げると言われている。1971年に発表された「ラブ・ミー・ウィズ・オール・オブ・ユア・ハート」(邦題:太陽は燃えている)は、究極のラブソングである。

そこらあたりのラブソングではない。堂々たるラブソングである。聴けば、なるほどと納得することができる。かげひなたなく、男と女が向き合う。男は女を愛し、女は男を愛する。フンパーディンクの歌唱は、いわば、そういう愛の偉大さ、愛のパワーを存分に感じさせる。ラブソングはこのように歌えと高らかに宣言しているような威厳を示している。

ぼくはこのような燦燦としたラブソングが苦手ではなく、非常に好きである。気を使って聴く必要など全くない。ただ、そのまま聴いてそのまま受け入れる。いい曲だなあ、と一人肯いて喜ぶ。こういう歌をダイナミックに歌うので、フンパーディンクは実際にも長生きできているようで、現在、86歳であっても、ピンピンしている。実に羨ましい人物だ。

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