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エマニュエル・トッド(その二)



《エマニュエル・トッドとカール・マルクスの根本的な相違》

エマニュエル・トッドは、マルクスが示した社会構造、すなわち、上部構造と下部構造の唯物史観の理論に明確な反対の態度を表明する。

上部構造をイデオロギーとして、下部構造を生産関係とする考えに立脚し、下部構造の生産関係(経済・物質)が原因となって、上部構造(理念・精神)のイデオロギーが結果として生み出される、言い換えれば、物質的な経済が精神的な理念・思想を規定するという理論は間違いであると言明する。

トッドによれば、下部構造に置かなければならないのは、生産関係(経済)ではなく、家族制度であり、これが原因となって、上部構造のイデオロギーが結果的に規定されるとしたのである。

そのことを、「マルクス主義モデルと人類学モデルとの間にある確実な相違は、前者が観察された事例を説明できないのに反して、後者はそれが可能である」(『世界の多様性:家族構造と近代性』2008)と述べ、上部構造(精神・思想・イデオロギー)は必ずしも下部構造(生産関係・物質・経済)から生み出されるものではないと主張した。

一定の家族制度の中ではぐくまれるのが、人間の精神であり、それが政治思想や政治制度、経済の仕組み、宗教や思想などを生み出すのだと主張したのが、エマニュエル・トッドである。

家族制度は、親子関係、兄弟関係、夫婦関係などいろいろであるが、これらが、歴史的にどうであったか、また、地域的にどうであったか、各国でどういう違いがあるのかなどを検証していくことによって、われわれの世界の政治的、経済的、社会的事象は解明できると看破したわけである。

トッドのその確信と信念には揺るぎないものがあるようだ。


《英米が民主主義に、中露が共産主義に分かれた理由》

英米の価値観や制度(民主主義)とロシア・中国の価値観や制度(共産主義)が異なる場合、その原因は何かを考察していけば、英米の家族システムと中露の家族システムの違いがポイントになるというのが、エマニュエル・トッドの視点である。

英米の家族型は、「絶対核家族」であること、すなわち、子供は成人すると独立する。親子は独立的であり、兄弟の平等には無関心である。遺産は遺言によって分配される。

こういう家族型であるから、基本的価値は「自由」であり、個人主義、自由経済を好み、また、自由な移動を好む傾向になり、その結果、自由主義、民主主義の価値や制度を生み出すことになるとトッドは言う。

自由主義、民主主義の原点は、英米の家族型にあると結論するわけである。

中国やロシアの家族型は、「外婚制共同体家族」であること、すなわち、息子はすべて親元に残り、大家族を作る。親は子に対して権威的であり、兄弟は平等である。

こういう家族型は、基本的価値として「権威」と「平等」を定立するので、共産主義との親和性が強くならざるを得ない。こうして、共産主義の原点は、中露の家族型にあるとした。

20世紀、世界が民主主義と共産主義に分立した原因が、色々と論じられる中で、エマニュエル・トッドは、英米が民主主義に、中露が共産主義(全体主義)に分かれた大きな原因が、英米の家族型と中露の家族型にその原因があったとする彼の考えはユニークであり、傾聴すべき点があるように思われる。

トッドは、根源的な指摘を行っていると見ることもできよう。


《予測者から予言者へと称賛されるエマニュエル・トッド》

エマニュエル・トッドは、人口統計学、歴史人口学、人類学などの視点から、社会の変化、国家の興亡などを予測して、それらをことごとく的中させてきた。

「ソビエト連邦の崩壊」「アメリカの金融危機(リーマンショック)」「アラブの春」「英国のEU離脱」「トランプ大統領の誕生」「グローバリズムの終焉」など、その他、現在、進行中のものも含めると、実に多くの歴史的事件を予測した、または、しているのである。

その予測は的確であったために、そのとおりになっている。中国の未来に対しては、幻想の大国として、アメリカの覇権に代わるものではないと一蹴する。


《911テロ:アメリカシステムの崩壊》

2002年に発行した著書『帝国以後・アメリカシステムの崩壊』において、エマニュエル・トッドは、ソ連崩壊(1991年)以後、アメリカの一極支配を考える風潮もあったが、事実は、アメリカ民主主義の崩壊の危機が増幅し、このままではアメリカは持たないことを警告するようになった。

2001年の「911テロ」事件後に著したこの『帝国以後』は、非常に大きな論議を巻き起こし、アメリカを考える問題の著作になったことは確かである。

トッドによれば、20世紀前半において米国は大多数の庶民のための民主主義の守護者であり、最も工業化された充足的経済を持ち、世界にとって必要不可欠な存在であった。

しかし、20世紀後半には、アメリカ民主主義が変質をきたし、組織の合理的な管理運営の名の下に金融資本家や官僚、軍部など、一部の限られたエリート達が政治の実権をコントロールする寡頭制に傾いて、民主主義が堕落し、エリート理論に帰結することによって、エリートが庶民を理解できなくなるという現実が起きてしまった。

ヒラリーがどんなに美辞麗句で語っても、トランプの演説の方がはるかに庶民(白人中間層)の心を捉えたのである。現実に即して語っていたのはトランプであった。

クリントン、ブッシュ、オバマと続いた米国の政治は寡頭制民主主義で、一部の特権的階層の利益を代弁するようになってしまったのである。

そして、事実として見られるようになった現実は、所得格差、不平等、巨額の貿易赤字、工業技術の優位性の喪失など、米国民主主義は傷ついて後退し、もはや世界経済がアメリカに依存しなくなる中で、アメリカ経済は世界に依存せざるを得ないという、トッドの言う「二重の逆転」が起きたのである。

アメリカがもはや世界にとって不必要になりつつある時に、アメリカにとって世界は必要不可欠なものになっているというシニカルな現実を見ることになった。

ここでアメリカが採った戦略は、「劇場的軍事行動」であり、イラン、イラク、北朝鮮などの発展途上国を敵に回し、世界の主役として振る舞うというということであった。

それは、EU、日本、ロシアなどと競合する力を失いつつあるというアメリカの現実を覆い隠すためであり、全世界的なテロリズムに対する「対テロ戦争」を宣言、標榜したところにアメリカの真意が隠されている。

「911テロ」そのものが、自作自演であると疑われる理由である。

そういうアメリカに、トッドは、トランプによる立て直しを期待し、米国の再起を望んでいるようにも見える。トランプ大統領の当選を好意的に語ったトッドの心中は神のみぞ知るであろうか。

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