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洋楽の讃歌Ⅱ:ビージーズ


ビージーズ、僕はあなた方の歌がとても好きだ。悲しく、切なくなるほど、好きだ。うれしく、楽しくなるほど好きだ。

その理由は極上のメロディーを、あなたがたは全世界の人々に与えてくれたからであるという単純明快なものである。まるで音楽の守護神アポロンが、あなた方に豊かな霊感を注いでいるかのようだ。バリー、モーリス、そしてロビン、あなたがた三人は神が遣わしてくださった天使たちに違いない。

今、ぼくは懐かしく思い出すのであるが、あなたがたのデビュー当時のヒット曲「ニューヨーク炭鉱の悲劇(New York Mining Disaster 1941)」、「マサチューセッツ(Massachusetts)」、「ホリデイ(Holiday)」などで聴かせてくれた、悲しくなるほどに美しい哀愁のメロディーは、感じやすい青春時代の僕の心を溶かしたものだった。

1971年のビッグ・ヒット「傷心の日々(How Can You Mend A Broken Heart)」の中で歌われる傷心(ブロークン・ハート)は、癒すことのできないほど、深く傷ついた心である。

  降る雨を誰が止めることができようか。 
  輝く日の光を誰が遮ることができよう。
  傷ついた僕の心を誰が癒すことができようか。
  誰も癒すことなどできはしない。
  助けてくれ。
  ぼくを再び生き返らせておくれ。

このように歌い上げるラメンテーションは、心の傷の深さを物語っている。傷ついた僕の心をどのようにして癒すことができるのかと、ほとんどかすかな声で呻くように、ささやくように歌う箇所は、まさに「ブロークン・ハート」の痛みの深さを表現してあまりあるものだ。

「傷心」をもたらす最大の原因は、もちろん、愛が壊れることによるものだろう。壊れた愛を修復することは、とてもむずかしいことに違いない。お互いが自己中心的であれば、和解は困難である。しかしながら、自分の人生を生きることで精一杯、自分の望みを叶えようとすることだけで精一杯、そんな若い時は誰にもあることだ。そんな時代を振り返って、「傷心の日々」は歌われている。

明日、何が待ち受けているのか。未来に何があるのか、全く分からない。破局を予想することなど、全くできなかった。しかし、現実にやって来たのは悲しい破局であった。そしてそれに続く深い悲しみ。助けてくれ。僕の心を癒してくれ。レット・ミー・リヴ・アゲイン。
救いがたい必死の叫びが胸を突き刺す。

愛の悲しみがこの世にある限り、ブロークン・ハートは、音楽の世界において、永遠のテーマとして取り扱われるだろう。

しかし、それを誰も心底から望む人はまずいない。願わくはジョイフル・ハートをこそ永遠のテーマにしたいものだ。ロビン、バリー、そしてモーリス、あなたがたも、もちろん、そうあってほしいと願うに違いない。

世界中には、幾千万、幾億もの人々が、ブロークン・ハートをたずさえて生きているに違いない。いや、そもそも人類の歴史全体が、ブロークン・ハートのシグマみたいなものかも知れない。

愛が願う通りにいかないこと、愛が壊れやすいこと、これこそが人類の悲劇の核心部分と言えるだろう。それ故にこそ、愛を大切にすることのできる人は賢明なる人だ。

愛を疎かにする人は、人生における他のいかなる成功を勝ち取ったとしても、いつか言い知れない孤独と悲哀の中に呻吟しなければならなくなるだろう。人はみな、厳しい愛の宿題を抱えて、人生を生きていかなければならない。

ビージーズ、あなたがたの歌う「マイ・ワールド(My World)」は、とても印象的な歌である。この世界は君のもの、君の世界はぼくのもの、ぼくの世界は君のものと繰り返して歌われる歌詞が、呪文のように心に残り、いつしかこの呪文は、愛はすべてを共有するのだという人生の真理を執拗にアピールするので、ぼくの心もまた、この歌と一緒に、愛は共有する、愛は分かち合う、愛には壁がないと叫び始める。

もし、ヘーゲルのような哲学者が、この曲を聴けば、「愛の共有性」、「愛の不可分性」などという用語で、説明しそうな愛の性質である。この、愛は分かち合うという真理をすべての人々が実行することができれば、世界はもっと素晴らしくなるはずだ。

ビージーズ、あなたがたがどれほど、楽しい浮き浮きするようなもう一つのハートの持ち主であるかは、「ユー・シュッド・ビー・ダンシング(You Should Be Dancing)」や「ステイン・アライヴ(Stayin’ Alive)」「恋のナイト・フィーバー(Night Fever)」で聴かせてくれた、あの流れるような、美しいハーモニーとともに奏でられる素晴らしいリズムによって、十二分に証明される。

踊らずにはいられない抜群のリズム感覚が、あなたがたの中に泉のように湧き上がっているのがよくわかる。天与の音楽的才能をメロディー・メーカーとして放ったあなたがたは、その天才ぶりをダンス・ビートの世界にも存分に発揮したのであった。

「傷心の日々」で表現された悲しみの心情世界、「ナイト・フィーバー」で表現された喜びの心情世界、これらは両極をなす世界である。

偉大な芸術家、偉大なアーティストというものは、より深く、より高く、より広く、その心情世界を自由に羽ばたかせながら生きる。それゆえ、対極的な作品を表現することができるのだ。表現の幅である。ビージーズ、あなたがたはまさしく偉大なアーティストだ。

ぼくはビージーズのメロディーに酔いしれてきた。そしてビージーズのダンス・ビートにも大いに酔わせていただいた。今、ぼくは世界中のファンとともに、ビージーズに心からの感謝を捧げることにしよう。

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