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洋楽ポップスの風景(その四)


~~ Bon Jovi : Livin’ On A Prayer ~~

ロックバンド「ボンジョヴィ」は、1984年にデビューを飾って以来、最も成功したアメリカのロックバンドの一つである。1986年に大ヒットした「リビン・オン・ア・プレア」は、乗りのいいロックであり、彼らの代表作でもある。86年の彼らの大ブレイクを考えると、この勢いのある曲は、まぎれもなく代表作である。題名のように、成功を掴むために祈るような思いで生きてきたジョン・ボン・ジョヴィ(ボーカル)の人生は、「祈りによって生きる」人生を送ったとも言える。「祈るような気持ち」があってこそ、成功できるのである。

Prayerはプレイヤーよりはプレアの方が英語の発音に近い。古今東西、祈りの力というものを体験した成功者たちは多い。願望の実現を深く念じ、願望が実現した状態を思い描くことによって、やがて、その願望が現実的に成就していく。まあ、念じる力の強い人とそうでない人がいる場合、念じる力の強い人の方が、夢を実現する可能性が高いということであろう。ボンジョヴィの成功は、彼らの念じる力が強かったからであろうか。念じる力が強い人は、それだけ、決して諦めることがない人であるとも言えよう。

ぼくが、ボンジョヴィの曲で気に入っているのは、「リビン・オン・ア・プレア」の他に、「ユー・ギブ・ラブ・ア・バッド・ネーム」(1986年)、「オールウェイズ」(1994年)、「イッツ・マイ・ライフ」(2000年)」であるが、特に、「イッツ・マイ・ライフ」は極上のロックであると思う。「今、この瞬間を生きる、これが俺の人生だ」と叫ぶジョン・ボン・ジョヴィの歌には魂がこもっており、人生を力強く生きるその姿には美しい輝きがある。本当にいい歌だと思う。


~~ Jennifer Rush : The Power of Love ~~

初めて、この曲に触れたときのぼくの感動は、ひとしおであった。何と伸びやかな歌声であろうか。何と美しい声であろうか。ぞっこん、惚れ込んでしまった。しかも、愛の極致にある女性が歌う「I’m your lady!」のプロクラメーションは、聴いていて、とても心地よかった。これは、本当に美しい愛の歌だと思った。1980年代半ば、この曲はアメリカでよりもヨーロッパ全域でジェニファー・ラッシュ旋風を巻き起こした曲となった。アメリカ受けというより、ヨーロッパ受けするポップであったようだ。

ニューヨーク生まれのジェニファーであるが、彼女はヨーロッパが肌に合うようで、彼女の活躍の場は、主にヨーロッパである。もともと、ドイツ系のジェニファーであるから、故郷に戻ったということであろう。それにしても、彼女の伸びのある美しい声は、万人を魅了する声であると思う。永遠の名曲である。愛の歌には、こういうとんでもない名曲があるのだ。この曲の美しさは、曲そのものの出来栄えにあることは議論の余地がない。曲とそれを歌う歌手の声の「ダブル・美しさ」が、マキシマムの効果を生んでいる。

ラブ・バラードで見せたジェニファーの実力は、テンポのいいロック調の歌にも遺憾なくその力を示している。軽快なロックとして、「サイドキック」(Sidekick)、「アイ・カム・アンダン」(I Come Undone)、「ハート・オーバー・マインド」(Heart Over Mind)、など数々のロックナンバーも聴かせてくれるジェニファーである。ジェニファー・ラッシュは非常に才能に恵まれた女性であると思う。歌うために生れてきた素敵な女性である。


~~ Dire Straits : Sultans of Swing ~~

ダイア・ストレイツの「サルタンズ・オブ・スウィング」は、1978年に発表されて、ロックファンを魅了し、その後も、この曲は、ヴォーカルのマーク・ノップラーの独特な歌唱とギター演奏の秀逸さが話題を呼び続け、今日に至っているが、ロックの名曲としての地位を不動のものにした。ぼくがこの曲を最初に聴いたとき、思ったのは、マークの歌唱であり、それはあの反戦歌手ボブ・ディランを想起させるもので、ディランの再来かと驚いたのである。ステージでの雰囲気や振る舞い方もどことなく、ボブ・ディランを思わせた。

ギターの音がとても心地よく、快適なリズムを刻んだ曲の進行も文句ない。何事かを自分自身に言い含めるような歌い方、美しく奏でるギターの音色、本当に聴けば聴くほど、味のある名曲だと思わざるを得ない。騒がしいロックも多い中で、抑制のきいたロックで品がある、と言いたい気持ちに駆られるのだ。そういう独特な味わいを持つロックであるが、作詞・作曲のマーク・ノップラーの個性の結晶が、まさに「ダイア・ストレイツ」である。ぼくはこのバンドが好きである。何よりも味わいがある。

「サルタンズ・オブ・スウィング」(邦題・悲しきサルタン)は、勿論、名曲だが、その他にも「ウォーク・オブ・ライフ」、「マネー・フォー・ナッシング」、「ブラザーズ・イン・アームズ」など、いずれも優劣つけがたい名曲があり、マークの曲は華やかさではなく、一種の「渋み」が魅力となっているところが面白い。エリック・クラプトンやスティングなどのロックスターたちがダイア・ストレイツのステージに一緒に上がるのも彼らの魅力を認めるからに他ならない。3人ないし4人で奏でるギター演奏が何より魅力の根源である。


~~ Cher : Believe ~~

米国の女優で、歌手である「シェール」が、1998年に全世界中で大ヒットさせた曲が「ビリーヴ」である。各国で1位を総なめした曲として名高く、非常によくできた曲である。ポップとして聴いても、ダンス・ミュージックとして聴いてもいい。この曲は多くの作曲家が関わって論議を重ね、作ったのであるが、その論議の成果が最もよく効果的に表れたものとなった。シェール・エフェクトと言われるようになった「エフェクト」、ピッチ補正ソフトを使って、シェールのヴォーカルにエフェクトをかけたことが大成功の要因になった。

女優業と歌手を股にかけ、長い芸能生活を続けてきたシェールは、どこかエキゾチックな雰囲気を持っている。アルメニア系の父とアメリカ・インディアン系の母の血を引くシェールであることを理解すると、彼女のエキゾチシズムを納得できると思う。彼女の声はどこか深みを持っていて、神秘的な感じがする。テンポがよく、伸びのあるシェールの歌唱は、「ビリーヴ」において、堂々として、円熟したその完成度を示している。後にも先にもないような大ヒットとなった「ビリーヴ」は、彼女の本当の実力を証明した。

1989年に、ピーター・セテラとデユエットで歌った「アフター・オール」は、きれいなラブソングである。同じく、1989年の「イフ・アイ・クッド・ターン・バック・タイム」は、うまくいかない男女の行き違いを振り返って、「もし時を戻すことが出来れば」とやり直したい心情を吐露する歌であるが、曲に勢いがあり、人気の高い曲となった。彼女の二大ヒットとしてカウントされる「ビリーヴ」と「ターン・バック・タイム」、シェールは堂々たる歌唱でUSポップシーンを華麗に飾ってきたのである。


~~ Harry Nilsson : Without You ~~

ハリー・ニルソンの「ウィズアウト・ユー」は、1972年の大ヒット曲であった。あの甘い声で歌っている人は誰だと、皆が「ウィズアウト・ユー」のシンガーを知りたいと思った。それにしても、曲の美しさ、甘美な歌声、文句の付けどころが全くなかった。こういう甘い歌声があるのだなあ、そう思った。この曲は、全英、全米の両方で1位を取ったのであったが、それは至極当然のことであった。ハリーの歌唱に誰もが感嘆の声を上げた。こういう名曲は、時代を超え、老若男女に限らず、魅了されるのが道理というものだ。

シンガーソングライターのハリー・ニルソンは、1960年代後半から1970年代にかけて、活躍したが、数多くのヒット曲を放った中で、「エブリデイズ・トーキン」(うわさの男、1969年)は、映画「真夜中のカウボーイ」の主題歌に採用された。二人の若者がニューヨークで出会い、退廃的な都会の空気の中で、孤独を癒し合う。その生き様が何とも言えず、ジョン・ヴォイトとダスティン・ホフマンの絶妙なコンビネーションが映画の魅力となっている。流れる主題歌の「エブリデイズ・トーキン」が、最高にマッチしているのが見て取れる。

スウェーデン系の血を引くハリー・ニルソンの歌の中には、北欧的憂愁とも言うべき抒情が流れているような気がする。彼自身が放つオーラも憂いに満ちたものがあり、どこか悲しみの匂いを感じてしまうのである。「ウィズアウト・ユー」にも、そういう空気が流れているのであるが、それがまた、極上の音楽的な美となって跳ね返ってくるので、堪らない。ハリー・ニルソンはそういう歌手であると思う。


~~ Londonbeat : I’ve Been Thinking About You ~~

1990年代、イギリスのダンスポップ・バンドの「ロンドンビート」は、華麗なダンス曲を放った。「アイヴ・ビーン・シンキング・アバウト・ユー」という曲がそれである。この曲を聴いたときに、ぼくはひとたまりもなく好きになった。メロディが美しかった。ヴォーカルのジミー・ヘルムズのややハスキーな歌唱が何とも言えず、バックコーラスもよかった。ダンスビートの乗りももちろん文句なしだった。案の定、ビルボードの1位に駆け上った。
ロンドンビートのヴォーカルのジミーはフロリダの出身であり米国人である。

「ユー・ブリング・オン・ザ・サン」、「ホエア・アー・ユー」、「オール・アイズ・オン・ユー」などでわかるように、ロンドンビートは、ダンスポップの巨匠であると言えるが、その優れたヒット曲を聴き込んでいくと、ソウルミュージックの味が仄かにしてくる。その理由があった。ヴォーカルのジミーはソロとして、ソウルシンガーでもある。「ゴナ・メイク・ユー・アン・オファー・ユー・キャント・レフューズ」というソウルのヒット曲も持っているのである。ダンスポップの中にソウルの味が舞い込んでいるということか。

ロンドンビートというバンド名は非常にいい。このビートという部分を楽しむというのであれば、「99」を聴けばよいし、ソウルの味わいを聴きたい時には「ウォールズ・オブ・ラブ」という曲などは、持って来いである。概して言えば、ロンドンビートの曲はリズムとメロディの調和がよく、上品な感じがする。羽目を外さない。均整がある。黒人3人の息も非常に合っている。ぼくは今もよくロンドンビートを聴いて楽しんでいる。


~~ Gazebo : I Like Chopin ~~

1980年代の半ば、ディスコブームの中で、イタリアから「ガゼボ」なるシンガーが、世界中を席巻する大ヒット曲「アイ・ライク・ショパン」を流行らせて、大きな話題になった。本名をパウロ・マッツォリーニと言い、その甘いマスクと甘い歌声は、特に、若い女性は勿論、大方の女性陣を虜にした。アリストクラティック(貴族的)という言葉は、ガゼボにそのまま当てはまった。彼の雰囲気が貴族そのものであったからだ。もうひとつの「ルーナティック」という曲もヒットし、二つとも上品なディスコ曲として人気が高かった。

あくまでも、これはガゼボの曲が与える印象であるが、「アイ・ライク・ショパン」にせよ、「ルーナティック」にせよ、怪しい愛の狂気が漂っていて、貴族の舞踏会の裏で、月夜の妖艶なきらめきの中で、サスペンスドラマが進行するといった物語が展開される、という想像を搔き立てる。ガゼボの曲に付けられたビデオクリップのせいかもしれない。愛は時に危険で、その甘い香りの中に、狂気が潜んでいて、人々を狂わせる。とくに、美しく妖気の漂う月夜には気を付けた方がいい。こういうくだらない忠告がぼくの頭の中に出てくる始末だ。

ガゼボの父親はイタリアの外交官で、彼が生まれた場所は、レバノンのベイルートであった。母親は歌手であったから、その背景から見ると、やはり、彼は間違いなく、アリストクラティックであったということだ。月夜の晩の舞踏会は彼にピッタリで、怪しげな愛の狂気が彼を追い掛け回していたことであろう。逃げ切れるか。(笑い)

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